日露戦争では2万個以上の砲弾が寺社仏閣に奉納

 なお、各地の寺院や神社にはなぜか、砲弾が奉納されていることが多い。これは日清戦争後、「陸軍戦利品整理委員会」が戦争記念品として自治体に分配したのがきっかけだ。そこから寺院や神社、学校、役場などに分けられた。日清戦争後、国内では砲弾およそ8700個が献納され、日露戦争ではおよそ2万個以上の砲弾が神社仏閣に奉納されているという。

 東京・青物横丁にある海晏寺境内にも、複数の砲弾が置かれているのを確認した。最大のもので高さ90センチ近くある。それが、日清・日露戦争のいずれの砲弾かは不明であるが、戦艦の主砲のものとも考えられる。

 同寺に聞いても、砲弾がいつ、どういう経緯で寺に持ち込まれたかなどは、あまり知らない様子であった。なお、同時の境内には岩倉具視の墓所(非公開)があり、そこには別の砲弾と大砲が置かれているという。

 戦争の記憶が失われつつある中、各地の寺院では以上のような「戦時資料」が保全されている。法事や墓参りの際にぜひ、菩提寺に残された戦争のアイテムを探し、平和の有り難さについて想いを巡らせてほしい。

筆者の新著『絶滅する「墓」 日本の知られざる弔い』(NHK出版新書)