「あいまいな死」にどう区切りをつけるか

 英霊の墓は特別なものであった。一般的な墓石は四角柱だが、軍人には「奥津城」と呼ばれる神道式の墓を立てるよう、末寺に指示がなされた。英霊は先祖代々の墓には入らない。1霊ごとに奥津城に祀られているのが特徴である。

 奥津城の形状は、古代エジプトの石柱オベリスクのような、上部が尖った四角柱である。奥津城は日当りのよい、墓地の中でも一等地に立っていることが多い。戦死者は遺骨が戻ってこないことが多く、奥津城に納めてあるのは、出征の前に家族に託した「髪」や「爪」、あるいは、遺品や戦地の石などである。

戦死者の墓である奥津城(香川県)。一般の墓に比べてかなり大きい

 奥津城は、「墓」というよりも、お国のために勇敢に戦って死したことを表明するための「モニュメント」として、意味合いが濃い。同時に、永遠に戻ってこない息子の奥津城を建立し「可視化」する。そうすることによって、息子の遺骨が戻ってこないという「あいまいな死」に区切りをつけ、死を受容できた遺族は多かったに違いない。墓にみる「日本人らしさ」は、この奥津城にこそ、よく表れていると思う。

戦時下における各地の寺院では天皇を礼賛する位牌や英霊の位牌を積極的に祀った

 同時に近代の戦死者らは、東京・九段にある靖国神社にも祀られている。靖国神社は1869(明治2)年に明治天皇の発願によって建立された。その対象数は、およそ246万6000柱だ。