いまなお続く戦没者の遺骨収容事業

「祖国に殉じられた尊い神魂」を安め、国家を守る存在として祀られているが、しばしば政治・外交問題の舞台として登場する。ちなみに地域にある「護国神社」も、英霊を慰めるための神社である。

 こうしてみると、戦死者は菩提寺の奥津城と靖国神社の2拠点、あるいは地域の護国神社を加えれば3拠点に、非常に丁寧に魂が祀られていることになる。しかし、われわれは魂を祀るだけで諦めているわけではない。海外に残された戦没者の遺骨収容事業は戦後から、いまなお、国家事業として続けられている。

 北はアラスカへとつながるアリューシャン列島や樺太から旧ソ連邦、西はインド、東はミッドウェイ・ハワイ諸島、南はパプアニューギニア・ソロモン諸島周辺まで。海外戦没者はおよそ240万柱で、戦後に収容された遺骨は128万柱(未収容遺骨は112万柱)である。海没した遺骨や、対ロシア情勢などによって回収が困難な遺骨は50万柱以上あるとみられるが、可能な限りは遺骨を収容する努力を続けている。

 近年は、年間に収容される遺骨は1000柱前後で推移(コロナ禍を除く)している。2003(平成15)年からは、身元特定のためのDNA鑑定を実施している。DNA鑑定によって年間数10柱の身元特定につながり、遺族の元へと戻されている。

 身元がわからない遺骨は、国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑に「無名戦没者」として、納骨される。現在、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に納骨されているのはおよそ37万柱である。

 無名戦没者が納骨されているのは六角堂だ。その中央に、古代豪族の棺を模した陶製棺が置かれている。重量は5トンで、世界最大の陶製品という。この棺の中に、昭和天皇が下賜した金銅製茶壷型の納骨壺があり、戦没者を代表する遺骨が納められている。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑の陶製棺