家康が命からがら逃げた「伊賀越え」のルートとされている御斎峠(おとぎとうげ)

 NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第29回「伊賀を越えろ!」では、織田信長が明智光秀に討たれたことで、徳川家康が追われる身となった。家臣たちと力を合わせて、伊賀を越えて岡崎を目指すが、途中でとらえられてしまい……。今回の見所について『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

少人数で伊賀越えを決行することになった家康

 天正10(1582)年の「本能寺の変」で、織田信長が明智光秀に討たれたことは、長く同盟を結んでいた徳川家康にとっても、衝撃的な知らせだったことだろう。

 しかし、感傷に浸っている暇はない。光秀から差し向けられているであろう追手が、いつやってくるかわからないからだ。

 とはいえ、信長の仇を討つべく、光秀軍と対峙するのも無謀である。このとき、家康はわずか30人ほどの重臣しか連れて来ていない。「もう少し人数を引き連れていたなら、光秀を追いかけ織田殿の仇を討つが、これほどの少人数ではそれもかなわないだろう」と述べている(『徳川実紀』より)。

 光秀に見つからぬように岡崎へと帰るほかなかったが、人目につきにくい道だと落武者に襲われるリスクが高まる。窮地に陥った家康だったが、家臣たちに支えられながら、この局面を打開していく。

 今回の放送回「伊賀を越えろ!」では、家康が家臣たちと岡崎に帰るために、険しい山道の伊賀を越えていく物語だ。

 キーマンとなったのは山田孝之演じる服部半蔵だが、どうもドラマの半蔵は頼りない。家康は不安を抱えながらも、半蔵とともに伊賀越えに挑むこととなった。