明智光秀(年代不明)写真:akg-images/アフロ

 NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第28回「本能寺の変」では、織田信長が本能寺に入ったという知らせを受け、徳川家康は堺へ。堺の商人たちと交流しながら、信長を討つべく準備をするが……。今回の見所について『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

信長の側にわずかな近習しかいなかった理由

 日本史における最大のミステリーとされる、織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」。その手勢の少なさから、信長は家臣の謀反をまるで予想していなかったと考えるのが自然だろう。なにしろ、わずか100人の近習しか信長の側にいなかったと言われている。

 少ない人数で京都入りした理由は、羽柴秀吉が毛利輝元の属城であった備中国(岡山県)の高松城攻めを行っていたからだ。諸将に出陣を命じていたために多くの者を随行させなかったと、織田信長の一代記である『信長公記』でも次のように説明されている。

「お小姓衆二、三十人を召し連れて上洛した。『ただちに中国へ出陣せねばならぬので、戦陣の用意をして待機、命令ありしだい出陣せよ』という命令であったから、このたびはお小姓衆以外は随行しなかった」

 しかし、この手勢の少なさについて大河ドラマ『どうする家康』では、前回放送分「安土城の決闘」において、一歩進んだ解釈を行い話題を呼んだ。「手勢が少なかったのは、信長が討たれても止む無しという覚悟をしていたから」だというのだ。

 前回のおさらいとして、シーンを振り返ってみよう。松本潤演じる徳川家康は、妻子が死に追いやられたことで、岡田准一演じる織田信長を討つことを決意。しかし、接待の場に呼ばれた家康は、信長からこう言われてしまう。

「京で待ち伏せして、俺を討とうとしてるのか。やめとけ、お前には無理だ」

 そして、信長は自身がいかに孤独であるか、その胸中を初めて家康にさらけ出すことになる。家康の妻子を死に追いやったことについて「謝らんぞ、くだらん」と吐き捨て「俺はそのような感情、とうに捨てたわ!」と叫び、こう吠えている。

「人をあやめるということは、その痛み、苦しみ、恨みを全てこの身に受け止めるということじゃ! 10人殺せば、10の痛み。100人殺せば、100の痛み。万殺せば万の痛みじゃ!」

 そして信長は衝撃的なセリフを口にするのである。

「俺はわずかな手勢で京へ向かう。本当にお前が俺の代わりをやる覚悟があるなら、俺を討て。待っててやるぞ」

 はたして家康は信長を討つことができるのか……と、今回の放送回で視聴者は従来とは違った視点で「本能寺の変」を見守ることとなった。