手を汚したくない表の人たちが養った
佐高 竹下登*7なんかも許永中とはものすごく近かったわけでしょう?
*7 竹下登(1924〜2000) 鳥根県生まれ。早稲田大学商学部卒業後、教師、県議などを経て1958年に衆議院議員に初当選、連続14回当選。田中内閣で官房長官を務めたほか、建設相、蔵相、党幹事長などを歴任し、87年11月に竹下内閣を発足。リクルート事件で多額の資金提供を受けていたことが判明し、89年に内閣総辞職。
森 近かったですね。だから、よく宴席に引っ張り出されていました。
佐高 私は竹下に会ったことはないですが、ちょっと陰険な感じがあるじゃないですか。許永中は写真で見る限り、笑顔が印象的ですよね。
森 許永中を評して、笑顔が素敵だと言う人は多いです。
佐高 笑顔がいいというのは、やはり人たらしの資質ではある。
森 そのギャップじゃないですかね。強面のイメージと、優しい笑顔と。
佐高 森さんの本のタイトルに「日本の闇を背負い続けた男」とありますね。会社の経営者とか、経団連のトップを見てくると分かるんですが、自分は手を汚したくないけれど、何かやらなきゃいけないという局面が出てくる。
話をつけないといけないときに誰かが必要になる。そのとき、許永中や、そこまでいかなくても、亀井とか、そういう人たちが求められるんですよね。
森 そういう構造が事の本質にあると思いますね。
佐高 だから、さっき森さんが「他人の金」と言ったけど、許永中は表の世界が養って大きくした存在ですよね。
森 結局、経済界が育てたヤクザが大きくなったようなものじゃないかなと思います。もともと、許永中を有名にしたのは東急建設の地上げ*8ですよね。東急建設から依頼されて、古川組の組長と組んで関西の地上げで名を馳せていった。
*8 東急建設の地上げ 1983年4月、東急建設と神戸市内の不動産業者が進めていた山林開発をめぐって、許永中が暴力団古川組の古川真澄組長とともに逮捕された脅迫事件。これを機に警察は許を古川組の相談役と認定した。
佐高 古川組は山口組系ですよね。
森 ええ、山口組の直参で、この組長も在日ですが、許永中は若いころ、その組長と一緒に、地上げで相手を脅した容疑で逮捕されています。そこから許永中は建設業界で、東急の名代として地上げをやっていったということで名前がわっと広がる。
そういう意味で、表のできないことを闇の住人にやらせていた時代というのがあったわけです。