日本が誇る10式戦車(陸自西部方面隊募集サイトより)

 平成22(2010)年に制式化され量産が始まった「10式戦車」は、令和5(2023)年現在、約100両余が北海道、関東および九州に配備され任務についている。

 2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻においては、地上戦闘の主役である戦車の動向が話題となっている。

 特に、ロシア側の戦車損耗の大きさとウクライナに対する米国、英国、ドイツの戦車供与が今後の戦況推移に大きく影響するとして話題となっているこの頃である。

 そこで、「10式戦車の開発と現状」と題し、2回に分けて10式戦車を徹底的に解剖してみたい。

 なお、10式戦車は自衛隊では「ひとまる・しき・せんしゃ」と呼ぶ。

10式戦車開発の目的

 平成14(2002)年春、新戦車の開発が本格的に開始された。

 しかしながら実際は、「90式戦車」の開発終了直後から防衛庁技術研究本部(現防衛省防衛装備庁)と関連企業の間で砲・弾薬・エンジン・射撃統制装置などの主要要素の研究が着実に実施されていた。

 なお、90式戦車(きゅうまる・しき・せんしゃ)は「61式戦車」、「74式戦車」に次ぐ、第2次大戦後に開発された3世代目の戦車で、第3世代の主力戦車である。

 なぜこのような経緯を経たのか?

 90式戦車が制式化された平成2(1990)年頃、既に列国はいわゆる第3世代後期の戦車開発が進捗しており、これに後れを取るまいと急ぎ主要要素の研究を始めたからである。

 これらの成果を踏まえ、示された技術開発要求書に基づき正式に開発がスタートした。

 関連企業にとってスタート時の一番の問題点は、戦車開発を経験した技術者の少なさであった。

 このようなプロジェクトを円滑に遂行して行くためには少なくとも数百人の技術者集団が必要であるといわれている。

 しかし、開発の中心となった当時の三菱重工業には、90式戦車の開発経験者は主要要素研究の技術者以外十分な技術者が不在の状況であった。

 無理もない。

 90式戦車の開発以降十数年を経ており、この間新規の開発事業がなかったため、90式戦車開発を経験した技術者の大半は社内の民需部門へ転換配置となっていたからである。

 当然、呼び戻しをするのではと思っていたが、実際は不可能であった。

 十数年の年月は長い。転換配置となった技術者は配置先で欠くべからざるポストを占めており、戦車を開発する特車部門へ呼び戻すとなれば民需部門に穴があく可能性があったからだ。

 幸い、豊富な人材の他部門から必要な数の技術者を特車部門に呼び寄せ「教えかつ戦う」の精神で本格的な開発に乗り出した。

 ここで一つの教訓が見て取れる。

 防衛装備品の開発には日進月歩する技術を取得しつつ多くの経験を経た技術者が不可欠であるが、民需と異なり開発が継続しない。

 このため、技術基盤の維持が極めて難しい状況にある。

 現在は企業の努力に任されているため、企業は並々ならぬ努力を重ねている。

 安全保障の観点から、これらの技術を保有することも抑止力の一端であり、今後、国としていかにするかを本格的に考える時期に来ていると認識している。