今村はマヌス島の監獄で約3年を過ごし、1953年にほかのすべての日本人が出獄するのを見届けた後、再び巣鴨プリズンへと移送されます。翌1954年に刑期満了で出所した後は、東京都内で1968年に逝去するまで回顧録を執筆しつつ、余生を静かに過ごしたとされます。
現代にあっても模範とすべき態度
筆者は尊敬する人は誰かという質問に、今村均の名をいつも挙げています。その理由としては、優れた軍政手腕や、与えられた状況の中で最善の戦術を選び抜く冷静な判断力もさることながら、厳格過ぎるとも感じるほどの強い責任感に、この人のようでありたいと思うからです。
いつの時代も、本来責任を負うべき立場でありながら、その責任を部下に擦り付け、自らの地位や権力を維持し続けようとする者が後を絶ちません。近年の日本においても、地位が高いほど何をしても許されるとばかりに、無遠慮な行為を繰り返す人が目につきます。
そんな世の中にあって、あの困難な時代にありながら、愚直なまでに自らの責任を全うしようとする今村均の姿は、現代にあっても模範とすべき態度であると日々感じます。
(参考書籍)『責任 ラバウルの将軍今村均』(角田房子著、筑摩書房)