マヌス島への移送を自ら志願

 戦後、BC級戦犯として訴追された今村は、インドネシアを奪還されたオランダより死刑が求刑されるも、証拠不十分で無罪となります。しかしオーストラリア軍から訴追された容疑では有罪が下され、禁固10年の刑に服すこととなりました。

 判決が下った今村は、他の戦犯らと同様に巣鴨プリズンに収容されます。一方、彼の元部下の多くは、当時、日本から遠く離れたパプアニューギニアのマヌス島に抑留され、戦犯裁判の審議も続けられていました。

 こうした元部下たちの状況を案じた今村は、設備や環境の整った巣鴨プリズンではなく、なんと自分もマヌス島の刑務所で服役することを申し出ます。この今村の申し出に触れたGHQのマッカーサーは「真の武士道に初めて触れた」と述べたとされ、今村を希望通りマヌス島へ移送しました。

 マヌス島へ移送された今村は、率先して元部下の裁判の証言に立ち、彼らの弁護に務めたと言われます。

 なおこのマヌス島での収監中、今村は一度自殺を試みています。幸いにも周囲の発見が早く、迅速に救護された甲斐あって未遂に終わっています。自殺の動機について今村は、終戦後の処理のほか元部下を弁護することに目途がついたためなどと後に語っています。