なぜ「テセウスの船」なのか

 私が本稿で「テセウスの船」を題材に用いていることは、単に、憲法9条の中身や解釈が変えられてしまっている、ということを述べるためではありません。

 重要な含意は、憲法9条の中身や解釈が変わっているにもかかわらず、それがあたかも何も変わっていないかのように見せかけられている、という点にあります。

 安保法制によって集団的自衛権が認められ、旧3要件が新3要件に書き換えられるというのは、憲法9条にとってかなり大きな解釈変更であったはずです。にもかかわらず、憲法9条の文言は一文字も変わっていませんし、専守防衛の方針には変更がないとされています。

 今回の安保3文書改定もそうです。

 専守防衛の方針については一切変わりがない、という相変わらずの説明が、その理由には一切言及されないまま、繰り返されています。

 岸田首相自身が「(安保3文書改定は)戦後の安全保障政策を大きく転換する」と述べているにもかかわらず、です。

本格化する国会審議に岸田首相はどう挑むか(写真:つのだよしお/アフロ)

 思い返してみると、2017年5月3日に、安倍首相(当時)が自衛隊を明記する憲法9条改憲論を持ち出したときも、「(自衛隊を明記しても)何も変わらない」との説明をしていました。

 パーツの入れ替えは、なるべく国民が気付かないように、目立たないように行われているのです。

 それはあまりにも卑怯である、と私は感じます。