偶発性をデザインする神山
冒頭で書いたように、神山の地域活性化の本質は、多様なバックボーンを持った住民が何かを始める偶然性、偶発性にある。それゆえに、誰が何を始めるかは、予測できない。ただ、大南をはじめ神山への移住交流を支援してきたグリーンバレーのメンバーは、「おもしろい人が集まれば何かが生まれるはずだ」という確信は持っていた。
それは、大南のキャリアによるところが大きい。
地元の建設会社を経営する家庭に生まれた大南は、1977から1979年にかけて、米シリコンバレーのスタンフォード大学大学院に留学している。
当時は米アップルのパソコン「Apple Ⅱ」が発売されるなど、シリコンバレーが半導体の拠点から世界のIT産業の中心地として離陸し始めるまさにその時。この時代の転換点に、スタンフォード大学に集まる世界の才能がシリコンバレーの企業や研究所に流れ込み、研究開発を進めていくというエコシステムを目の当たりにしていた。
地元の仲間と設立した神山町国際交流協会をNPO法人に改組した時に、「グリーンバレー」という名前にしたのも、シリコンバレーを意識していたからだ。
「シリコンバレーについての僕のイメージは、与えられた条件の下、いろいろな組み合わせで新しいものを生み出すということ。いろいろな人が集まれば、その組み合わせの中で何かが生まれる。それは意識していました」
そう大南は振り返る。
もちろん、世界中の頭脳が集まるシリコンバレーのような産業集積が神山にできるとまでは考えていなかっただろうが、異なるバックボーンを持つ人が集まり、多様性の中で新しいものを生み出していくというエコシステムがシリコンバレーの本質であることは理解していた。
その意味において、神山の偶発性はグリーンバレーがデザインしたものだ。そして、何かを生み出すことのできる人材を呼び込むために、アーティスト・イン・レジデンスやサテライトオフィスなどの取り組みを始めたのだ。
初めに海外のアーティストに焦点を当てたのは、神山に文化の香りを漂わせたいと思ったこともあるが、アーティストと呼ばれる人がそもそも“変わっている”からだろう。
神山の地方創生に方法論があるとすれば、この「偶発性のデザイン」という部分だと私は感じている。