NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。第10回放送分「側室はどうする!」は、家康の側室探しを、生母である於大の方と、正妻の瀬名が担うというユーモアあふれる展開。前回と前々回のシリアスな三河での一向一揆とは打って変わって笑いの要素が満載だったが、重要なポイントもいくつか示唆されている。第10回の見どころポイントや素朴な疑問について、『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
「妻子奪還」「一向一揆」に長い時間を割いたワケ
『どうする家康』では、史実を踏まえて新解釈を打ち出しているところが見どころの一つだが、同時に、歴史人物の新たな人物像を打ち出すことにも意欲的だ。
その典型例は、徳川家康と正妻の瀬名(築山殿)との夫婦関係である。ドラマでは、松本潤演じる家康が、有村架純演じる家康の正妻・瀬名と仲睦まじい夫婦関係を築いている。二人は不仲だったとする見方が強かっただけに、意外に思った人もいたことだろう。
不仲説が唱えられる原因は主に3つある。ドラマで家康と瀬名との関係を良好だったとするには、一つずつ覆していかねばならない。
まず一つが、瀬名が今川義元の姪にあたるということだ。家康は瀬名との婚姻によって、今川義元の縁戚になった。
近年は「瀬名の母は義元の妹ではなかったとする」説も有力視されているが、瀬名の父である関口氏純が今川氏の重臣であることには変わりない。瀬名との婚姻が進められたことからも、家康が人質の身でありながら、今川家を支えていく重要な人材として扱われていたことがわかる。
しかし、家康は永禄3(1560)年の「桶狭間の戦い」で、今川義元が織田信長に討たれると、今川氏から離反。岡崎城で独立したのち、信長に接近して同盟を結んでいる。妻の瀬名からすれば「見捨てられた」と思うのは当然だろう。以降、岡崎に入ってからも、家康との夫婦関係は冷え切ったものになった・・・とされてきた。
そこでドラマでは「家康としては駿府に帰りたかったが、今川氏に虐げられてきた三河の民衆のために苦渋の決断をした」と描かれている。そのうえで、家康が妻子を奪還することにいかにこだわったのかを強調している。
『どうする家康』の特徴をさらに挙げるならば「ワンテーマの掘り下げ」がある。今川氏からの妻子の奪還や、三河での一向一揆については、いずれも2回分にわたって放送している。
その点に戸惑う視聴者も散見されるが、今回の大河ドラマは従来のイメージとは異なる人物像を打ち出すことが多いだけに、ポイントとなる出来事は丁寧に描写する必要がある。
妻子奪還がなかなかうまくいかないが、それでも諦めない家康──。駿府に置いてきた妻子に、家康がどれだけ心を砕いたかを丁寧に描写することで、不仲説の最初のハードルを越えているのだ。