公費投入は“ドン・キホーテ”の所業
森氏:日本では、交通は一般的に民営のものだととらえられています。単体で採算が合うということが求められ、不採算になると間引きしようという話が出てきます。すると利便性が下がり、ますます乗らなくなります。そのスパイラルで、最後は廃止です。
昭和30年代、40年代は、単体での採算を求める考え方でも成立しました。奇跡的な高度成長で、人口も右肩上がりで伸びていたからです。
ところが、時代は変わりました。人口減へと転じ、モータリゼーションも加速していきました。道路特定財源によって、政府も車社会を推進した形になりました。結果的に、公共交通を使う人は奪われていったのです。
ここで問題なのは、地方交通を単体で切り取ってしまう考え方です。
単体で切り取るから、B/C(費用便益比:B=ベネフィット、C=コスト)の議論がそこから先へ出ていかないわけです。路線単体で収支が合うかどうかしか見られなければ、大都会の鉄道しか残りません。
地方公共交通はコストがかかってベネフィットが低い。不採算路線に公費を入れるなんてとんでもない、反対だ、という人も当然出てきます。
私は単体ではなく、地方公共交通はもう少し広く「社会的便益」というとらえ方をすべきだと訴えてきました。
交通が持つ社会的便益とは、例えば渋滞の解消効果です。朝、1000人が利用する電車をバスに転換すると、50人乗りのバスが20台必要です。電車であれば車両をつなげ、渋滞を起こさず輸送することができます。
そして何より、装置としての鉄道が町にあることによってもたらされる利益があるわけです。将来市民にとっての利益にもなり得ます。運行経費と運輸収入の議論だけにとどめないで、そうした社会的便益を含めた議論をすべきだと主張してきました。
――そうした論理のもと、具体的にどのようなことに取り組んだのでしょうか。
森氏:市民の利益になるものには自治体が公費を投じるということです。交通政策基本法ができるもっと前から、富山市は積極的に公費投入をしてきました。何の法的根拠もなく、市議会で予算が議決されたということだけを頼みにしてです。
「近くに電停があったら助かるね」という市民がたくさんいても、JRはローカル線に新たな駅を作ってくれません。であれば、市民の利益のために、基礎自治体である市が駅を作る。これは極めて当然の責務だと思います。JRのためではなく、市民のために、という理屈です。
駅前のトイレはいくつも作ってきました。迎えに来たママが、トイレに行くのにいちいち駅の中まで入らなければいけないのは不便です。市民の利便性のためですから、JRに頼むのではなく、市で取り組んだのです。
20年ほど前は、赤字のローカル線に公費を投じるなんてあり得ない、という時代でした。現実からかけ離れているということで、私は“ドン・キホーテ”とさえ言われました。