2022年ワールドカップ日本代表 写真/新井賢一/アフロ

(歴史ライター:西股 総生)

歴史家が考えるサッカー日本代表の敗因(1)https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73413
歴史家が考えるサッカー日本代表の敗因(2)https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73414
歴史家が考えるサッカー日本代表の敗因(3)https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73415

監督人事だけではない4年間の迷走

 話は、ロストフの4年前にさかのぼる。2014年のブラジル大会で、アルベルト・ザッケローニ監督(イタリア人)の率いる日本代表は、1次リーグを突破できなかった。日本サッカー協会は、ただちに後任としてメキシコ人のハビエル・アギーレ監督を招聘した。

 日本の文化をよく理解したザッケローニ監督は、日本人の俊敏性や勤勉性を活かして、すばやく正確なパス回しで敵陣に攻め込むサッカーを目ざしていた。アギーレ監督は、当時ヨーロッパで主流になりつつあった4-3-3のフォーメーションを導入し、ザッケローニの日本代表に足りなかった要素を上積みしようと試みた。

 ところが、過去の疑惑が持ちあがったことによって、アギーレ監督はわずか半年余りで解任される。協会が後任に選んだのは、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のヴァイド・ハリルホジッチ監督であった。

 ハリルホジッチ新監督は、デュエル(1対1)を重視し、縦に速く仕掛けるサッカーを求めた。前任者たちの築いてきたパスサッカー指向とは、明らかに一線を画す方向転換である。そのハリルホジッチ監督が、ロシア大会の2か月前に解任され、協会の技術委員長という立場でチームを見てきた西野朗氏が急遽、指揮をとることになったわけだ。

 このように見てくると、ブラジル大会からロシア大会に至る4年間で迷走したのは、監督人事だけではなかったことがわかる。代表チームがどのようなサッカーを指向するかという、スタイル構築の部分でも迷走していたのだ。

 こうした迷走は当然、選手選考にも影響する。西野監督は、スタイル構築と選手選考で迷走を繰り返したチームを預けられたことになる。つまり、ロシア大会に臨んだ日本代表は、どこがストロングポイントかが不明確なチームだったのだ。

 選手の奮闘によって、ベルギー相手に2-0のリードを奪う望外の戦果を得たとき、西野監督がすばやく適確な策を打ち出せなかった理由は、ここに帰結する。チームのストロングポイントが曖昧では、攻勢に振るべきか防勢に回るべきか、判断に迷うのは当然なのである。2018年のロシア大会は、ロストフのピッチの上以前に、日本サッカー協会の会議室においてすでに敗れていたのだ。

 ところが協会は、ロストフの戦訓から「対応力」というテーマを選び取ってしまった。そして、選手達がピッチ上で主体的に判断しながらゲームをコントロールできる「対応力」とは、本質的に「個の力論」の延長線上にある。「対応力」が代表チーム強化のテーマとされたことによって、ロシア大会に至る4年間の迷走という、体制上の問題が見えなくなってしまったのだ。体制上の問題を「なかったこと」にして、選手に向上を求めるのは、実に日本的な「やりがい搾取」といえよう。

 以上のように、時間軸に沿って長いスパンで考えてみると、カタール大会における日本代表の真の敗因が見えてくる。2014年にはじまるスタイル構築の迷走は、8年たってもまったく解決していなかった。ゆえに、選手たちの努力によって向上した「個の力」を、十全に発揮させられるような攻撃の組織化ができなかったのである。

 今大会の戦訓をPK戦に求めて、日本選手たちが猛特訓で課題を克服したとしても、90分の本戦で負けてしまったら、何の意味もない(「やりがい搾取」にしかならない)。そもそもワールドカップ本大会の1次リーグでは、90分しかないのだ(コスタリカ戦を思い出してほしい)。真の敗因を把握して克服しなければ、先のステージに進むことはできないだろう。

 すでに日本サッカー協会は、森保監督の続投を発表しているが、はたしてカタール大会の結果から正しい戦訓をすくい取ることはできるのか。問われているのは、日本サッカー界全体の「対応力」ではないのか。

※ 本稿の内容をより掘り下げて考えてみたい方は、拙著『戦国武将たちの現場感覚』(KAWADE夢文庫)、『東国武将たちの戦国史』(河出文庫)をご一読下さい!