日本の警察官が現行犯に手錠をかけないのなら、日本のテレビは手錠を映さない。ときどき、容疑者か受刑者が別の地に護送されることがあるが、そんなとき、手錠をしてるとわかるのに画面上では必ずぼかす。あれはぼかすようにと警察からの通達かなにかがあるのか。それともテレビ局の自主規制か。映せばいいじゃないか。

犯人の映像、出すのか出さないのか

 賽銭泥棒や自動車泥棒や自販機商品の窃盗などで、犯行を実際にやっている姿が防犯カメラに映っているのに、これも犯人の顔は必ず隠すのである。あれはなにを恐れているのか。あれもまた警察の指示か。それとも想像上の人権派に忖度したテレビ局の自主規制か。犯人の顔を出すことで、次の犯罪の防止や犯人逮捕のスピードアップにつながるのではないかと思うのだが、冤罪を誘発するのを恐れているのか、出さないのである。

 これがイライラする。だったらそんな中途半端は映像出すなよと思うが、これは出すのである。せっかく映っているんだからと。

 今月12日、警察は、宮台真司氏を襲撃をした犯人の映像を公開した。中年のおやじみたいで想像とちがったが、なるほど、対人殺傷事件の場合は顔出しをするのかと思った。しかし以前の事例を思い出してみても、一概にそうもいえなそうである。ならば、捜査に行き詰ったときか。週刊誌に、なぜ見つからないのかと叩かれたときか。どちらにしても顔出しの基準には一貫性がないように見える。

 テレビ朝日の人気ドラマ「相棒」の主人公・杉下右京は、だれに対しても「ですます調」の敬体で接する。犯罪者相手にもおなじで、怒鳴りつける場合でも「ですます調」を崩すことはない。

 どういう性格設定なのかと思うが、そのこと自体は戦前までの「おいこら調」よりも断然いい。テレビで世界の警察官を見る機会があるが、とんでもない暴力警察がほとんどで、それに比べると日本の警察は圧倒的にいいほうである。

 しかし民主的態度と仕事をきっちりすることはまったく矛盾しない。テレビ局はスポンサーと視聴率だけが大事で、人権意識などは形式だけだ。警察もマスコミや世間の声を恐れている。日本の組織は“怒られること”を極端に恐れるあまり、コトの本質と無関係なことばかりに気を遣いすぎているように見えるのである。

 まあ、こんな見解はどうでもいい。なにより怪訝なことは、「スタンガン男、身柄確保の瞬間」で検索できたYouTubeの動画が、いまでは見つからないことだ。削除されたのなら、だれがどんな理由で削除したのか。