(杉山大志:キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)
漂うマルクス主義と平和主義の匂い
青森県の三内丸山遺跡に行ってきた。縄文時代の出土品がきれいに整理されていて楽しむことができた。
その一方で、長年、腑に落ちないことがある。「縄文時代には豊かな自然の恵みの下、人々は平和に暮らしました」という説明だ(例えば、NHKや国際縄文学協会などの記事)。縄文時代がユートピアだったというわけで、この説は日本で広く共有されており、信じている人が多いと思う。
だが常識的に考えて、豊かな暮らしなら、人口はどんどん増える。食料が足りなくなれば、どこかに縄張りを拡張してゆくしかない。他人の場所に入り込めば戦いになる。いわゆる「マルサスの罠」というものだ。
さて日本の考古学界では、縄文時代までは戦争はなく、弥生時代になって戦争が始まった、とされてきた。考古学者の故・佐原真氏らが唱えたものだ。曰く、縄文時代までは狩猟採集をして獲物を分け合う平等な社会で、弥生時代になると米作などの農業が始まり、富の蓄積、搾取による貧富の格差、そして戦争が始まった、ということだ。
この話を聞くとすぐに疑念が湧くのは、これがマルクス主義と平和主義の匂いを漂わせるからだ。