高津監督は現役当時、自らを守護神に抜擢した故野村克也氏の監督時代にヤクルトの黄金期を支えながら「野村ID野球」を徹底的に叩き込まれた。主に試合前に行われるミーティングでは大学ノートにペンを走らせ、野球にまつわるデータはもちろんのこと人間心理に至るまで、さまざまな“教育”を受けた。その恩師から授かった教えは現在の高津監督に脈々と受け継がれている。

 一方で高津監督はこの「野村ID野球」に自らのエッセンスを加えて現代野球にマッチングさせ、さらに昇華させている。データで配下の選手たちをコマのように扱うだけでなく、当人たちとのコミュニケーションも密に深めて心をつかみ取っていくことを重要視しているのが「令和の高津流」だ。

「育てるためなら負けてもいい」

 その考えを生み出す基盤となったのが、2017年から3シーズン務めた二軍監督時代。自著本のタイトルにもあるように高津監督のモットー「育てるためなら負けてもいい」という育成への情熱は、ここが出発点なのである。

 現役時代には日本のNPBだけでなく米国MLBのシカゴ・ホワイトソックスとニューヨーク・メッツでもプレー。さらに韓国のKBO、台湾のCBPLと世界を渡り歩いた。4カ国でプロ野球リーグを経験した初の日本人選手となったことも高津監督の“礎”となっている。

2008年、韓国のウリ・ヒーローズ在籍当時の高津臣吾監督の投球フォーム(写真:アフロ)