為替相場は、日本拓殖銀行や山一証券などの経営破綻を受け、金融危機が深刻化した1998年以来の水準に。写真は自主廃業を決め記者会見する山一証券の野澤正平社長(写真:Kaku Kurita/アフロ)

(市岡 繁男:相場研究家)

金融機関の経営不安で円安となった1998年

 円安が止まりません。9月7日の外国為替市場では円相場が下落し、一時1ドル=144円台をつけました。1週間で5円ほど下落したことになります。読者のみなさんがこの記事を読んでいるときには、いったいいくらいになっているでしょうか。

 輸入物価を直撃する円安は物価の上昇をもたらします。8月の東京都区部の消費者物価指数(持ち家の帰属家賃を除く総合)は前年比3.5%増と、消費税率引き上げの影響が本格化した2014年9月以来の水準となりました。持ち家の帰属家賃を除く物価は消費者の実感に近いと言われています。米国のような急激な上昇ではないにせよ、日本でも物価高が鮮明になっているのです。

 しかし日銀は量的緩和の維持を優先し、4年債以下の国債利回りはいまだマイナス金利のままです。米2年債利回りが3.5%台にある現状を鑑みると、米国株が大暴落でもしない限り、円安が止まらなくなるのではと思えてきます。

 振り返ると1998年も今日と同じような状況でした。96年1月に105円台だったドル円相場は、日本の金融危機を背景に、98年8月には147円台まで円安が加速したのです。

 その間の値動きをみてみましょう。97年4月末にいったん1ドル=127円まで円安が進行しましたが、その後、6月11日には111円台まで戻しました。これは4月下旬、日産生命保険が生保会社として戦後初の経営破綻となり、それをきっかけに国債が売られ(円金利が上昇)、日米金利差が縮小したからです(図1)。


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 その後は、97年11月に北海道拓殖銀行や山一証券が破綻し、98年3月には日本長期信用銀行に公的資金が導入されました。金融機関の経営不安の拡大に伴い、ジワジワと円安が進んでいったのです。そして98年8月11日には90年8月以来、8年ぶりに147円台をつけました。