「誰が携帯電話を持っているか白状しないと足を撃ち抜く」と脅したロシア兵
ロシア兵は携帯電話を隠していないか捜索した。「誰が携帯電話を持っているか白状しないと、足を撃ち抜くぞ。1、2、3…」と数え始めた。「情報を流しているのはお前か」とロシア兵は職員の1人を拘束し、暴行を加えて尋問した。アーシャさんは自分の携帯電話を水樽の中に放り込んで破壊した。拘束、殺害、拷問などロシア軍は残虐の限りを尽くした。
しかし母と職員の3人は全員助かったとシュマトクさんは振り返る。アーシャさんは1930年代のクラーク(富農)撲滅運動やコルホーズ(集団農場)による農業の集団化でいかにウクライナが飢饉ホロドモールに苦しんだかを幼かったシュマトクさんに話して聞かせた。ソ連共産党支配下でホロドモールのことを話すのは禁じられていた。
シュマトクさんの母方の曽祖父はウクライナ南部ヘルソンに広大な農地を所有していた。共産主義者は祖父の家族を拘束し、農地や家を没収した。働かない人や怠け者、アルコール中毒症患者が共産主義者を名乗り、富農の農地や農業機械、家、衣服などすべてを奪い始めた。
「見張り役の男が曽祖父一家の娘と親しかったので、家族の一部は逃げ出せた」(シュマトクさん)
曽祖父一家の一部は仕事が見つかり、新しい家に住めるようになるまで避難先で掘った地下壕で息を潜めるようにして暮らした。地下生活は1年に及んだ。しかし逃げ切れなかった残りの家族は拘束され、シベリアに送られた。
「家族全員が再会できたのはソ連の独裁者ヨシフ・スターリンが亡くなった1953年以降。約20年の歳月が流れていた」