オデッサのダウンタウン。道はバリケードで塞がれている(写真:ロイター/アフロ)

(永末アコ:フランス在住ライター)

「赤上げて、白上げて、赤下げないで、白下げる!」

 懐かしの旗上げゲーム、まだ日本では楽しまれているだろうか。フランスにこのゲームはないが、似たものがここ数年ある。

「道でつけ、会社でつけて、道つけないで、店つける。メトロつけ、道つけないで、学校でつけない !」

 政府による対コロナのマスク着用指示は、この2年の間にコロコロ変わった。国民が敏感に、正しく反応しないと「ブー!」と音が鳴るわけではないが、着用指示を守らなければ罰金である。

 ちなみに、4月1日現在はメトロのみ着用だが、コロナのみならず、ウイルスは人類始まって以来、存在しており、今後もなくなることはないというから要注意だ。

 遠い昔からなくなるようでなくならない──。それは、ウイルスだけでなく、私たちを脅かす戦争も同じだと思うのは、私だけではないだろう。

「遠い過去のものだったのに」と思える私たちはまだ幸運だ。「ついさっき、やっと悪夢が終わって平和に暮らし始めていたのに」という人も世界には山ほどいる。

 人種の坩堝(るつぼ)のパリでは、自分と同世代が、生まれた国家のせいでひどく厳しい人生を歩み、今に至っていると知ることも多い。

 レバノン人の男友達は出会った当時、握手の緩さを私が冗談混じりで咎めると「戦争で幼い時に、右手に銃弾が入り込んだからなんだ」と言い、テーブルゲームで勝ち続けると、「小さな頃はシェルター暮らしでこればっかりだったからね」と笑う。

 我が家に週1回来るルーマニア出身のおしゃべりな家政婦さん(パリでは家政婦さんをお願いするのは珍しくありません)は、先日「残酷なプーチンを世界では騒いでいるけれど、チャウシェスク(大統領)の独裁だってひどいものだったわよ」と当時の恐怖を語る。

 今戦争が起こっているウクライナの現代史も決して一筋縄ではない。人種が混ざり合い、内戦、国外からの弾圧が続き、多くの側面で変わり続けるこの国のことを、簡単には理解するのは難しい。

 日本ではウクライナ人とロシア人は親戚だとか、京都人と大阪人のようだとか言うようだが、そんな簡単なことでもない。「親ロ派のウクライナ人」という言葉に、ロシアに肩を持つウクライナの敵を想像していた私もまた、単なるニュースの見過ぎの無知だった。

 数年前、フランス語に独特のアクセントのあるリュドミラに出会った時、出身国と聞くと、「ロシア、まあ、ウクライナ。お好きなように」と言った。旧ソ連時代のウクライナに生まれた彼女は、その後に住んだアメリカやフランスで出身国を聞かれるたび、きっといつも同じように答えて来たのだろう。

 彼女の長いインタビューを終えた今でも、私はここにリュドミラをウクライナ人と紹介していいのか、ロシア人と紹介して良いのかわからない。彼女自身は「結局はもうどちらでもない」と言う。