第二次世界大戦が終わると、国民政府内政部は初めて南沙諸島の水域を視察に訪れて、1947年、『南海諸島位置略図』を刊行し、白眉初に倣って太い線で海上領海線を引いた。
その際、初めてジェームズ礁が暗礁だったこと気づき、白眉初が「岩礁」として描いていたジェームズ礁を、慌てて「曽母暗沙(暗礁)」と改めたというお粗末な一幕もあった。
1948年、国民政府は正式に『中華民国行政区域図』に南沙諸島の海上国境線を加えて、商務印書館から一般向けにも刊行した。
ちなみに、国連海洋法条約では、満潮時に水没する「低潮高地」(暗礁)には領土を設定できないと定めているが、このジェームズ礁を「領海の最南端である」と主張する現在の中国が、南沙諸島のミスチーフ礁などを埋め立てて軍事基地化してしまったことは、周知の通りだ。
中国では現在、南シナ海の領有権を強く主張する根拠として、白眉初の「海疆南展後之中国全図」と、その後の『南海諸島位置略図』をしばしば引き合いに出している。しかも、白眉初の「海疆南展後之中国全図」は、南シナ海の部分だけ拡大して論じられることが多い。
なぜ、拡大するのか? 南沙諸島が100以上の島嶼と暗礁からなるので、詳しく表示する必要があるからか。いや、この地図には、実は重大な事実が隠されているのだ。
南沙諸島を中国領としながら台湾は領土に含まない白眉初の地図
地図の全貌を見てみてほしい。台湾の部分である。白眉初が『海疆南展後之中国全図』で描いた赤い太線は中国大陸と台湾の間の狭い台湾海峡を通っているのである。つまり、台湾島は含まれていないのだ!
地図が描かれたのは1936年、日中戦争のさ中で、台湾は日本に占領されていたため、台湾が中国の領土として描かれなかったからに違いない。ということは、南シナ海の海上国境線も、同時代の政治状況を反映しただけの「暫定的な」地図である可能性が出てくる。
もし中国が、白眉初の『海疆南展後之中国全図』を根拠に南シナ海の領有権を主張するなら、逆に、赤い太線に含まれていない台湾は、領有権を主張すべきではないだろう。地図の一部だけ切り取って、好きな部分だけ領有権を主張するのは、あまりにご都合主義というものではないだろうか。
習近平国家主席は、「中国は信頼される、尊敬される国になる」と言ったが、この先、中国が根強い国恥意識を募らせ、国恥地図に見られるような歴史物語に執着しつづけている限り、決して世界から尊敬されるリーダーにはなり得ないだろう。