彼は言った。

「タリバンが政権をとって以後、麻薬の供給の70%が減少した。タリバンは厳しく麻薬を取り締まった。それはアメリカ政府も認めていることだ」

 道路脇を歩くブルカ(網目状になった目の部分以外の全身を覆う衣装)を被った女性達が、トラックのもうもうと巻き上げる土煙に呑み込まれていく。

 途中の坂道では“お祭り騒ぎ”と呼ばれるキンキラキンのデコトラックが山ほどの荷物を積んで喘ぎ喘ぎ坂を登っていた。

「“アッラー・アクバル”とは人を殺す為に唱える言葉ではない」

 5時間程走ってカンダハルに入った。町は意外にも落ち着いていた。ブルカ姿の女性がまるで白昼の月のように存在感を消して、ひっそりと歩いている。バザールでは羊の真っ赤な肉が丸ごとぶら下がり蠅がうるさくまとわりついている。土塀に座り込む少年、重い荷物を肩から担いで顔をしかめる少年、何をするでもなく一人ぼんやりと椅子に座った老人の顔の深い皺。

「撮影禁止」と言われていたが、同行するタリバンの目を盗んで撮影した一枚。カンダハルでブルカを被り通りを歩く女性(写真:橋本 昇)
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 そんな光景のひとつひとつを脳裏に収めながら、彼らには彼らの生き方があり、人は皆その土地に根差して生きているのだ・・・と、そんな感慨に浸った。

 彼らは信仰と共に生きてきた。一人の年配のイマームは言った。

「今、皆が“アッラー・アクバル”と呪文のように唱えているが、“アッラー・アクバル”とは人を殺す為に唱える言葉ではない。元来の祈りの言葉を戦いに利用しているのは残念だ。イスラム教は穏やかで人に優しい宗教のはずだ」

「宗教とは元々、一人ひとりの人間の心の中にあるものだ。心を神に向け祈る事が大切なのだ」