反米機運が燃え盛るペシャワル

 ペシャワルは怒りに燃えた男たちの熱気で煮えたぎり、沸点を超えていた。メインストリートは手に手に怒りのメッセージを掲げてやってくる男たちで埋まっていた。

 男たちは口々に叫び、アメリカ大統領ジョージ・ブッシュの写真に唾を吐きかけ、足で踏みにじり、星条旗を燃やした。この凄まじい憎悪の発端はアメリカ軍のアフガニスタン爆撃だった。9月にアメリカで起きたアルカイダによるテロ攻撃、すぐさまアメリカは首謀者ウサマ・ビン・ラディンを匿っているという理由で、タリバン政権下のアフガニスタンへの攻撃を開始した。

 やられたらやり返せ! それはペシャワルの男たちも同じだった。ペシャワルにはアフガニスタンに繋がるパシュトゥン人が多い。独特の濃い風貌と刺すような眼、まさにバザールに連山のように並び香りを主張し合うスパイスのように、互いに譲らぬ強い気性を持ったパシュトゥン人。ここはタリバンを生み、アルカイダが結成された町でもあった。

アメリカへの怒りを爆発させるペシャワルの人々(写真:橋本 昇)
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 話は遡るが、1978年にソ連の支援によりアフガニスタンに共産政権が誕生する。この政権はイスラム主義者の弾圧に乗り出したため、各地で反政府ゲリラが蜂起した。ムジャヒディン(イスラム聖戦士)だ。翌年12月これらを制圧する目的でソ連軍が侵攻すると、アフガニスタンは戦争の泥沼に入り込んでいく。

 1989年にようやくソ連が撤退すると、今度はソ連軍と戦っていたムジャヒディン各派の間で主導権争いが発生、内戦が続く事態となった。麻薬や国際援助金の利権を狙っての事だ。そんな腐り切った国で民衆の支持を集め、台頭してきたのがタリバン(神学生)だった。彼らはペシャワルの難民キャンプのマドラサ(イスラム神学校)で神学的にも軍事的にも教育され、厳格なイスラムの教えを信奉していた。

 そのタリバンは1996年、首都カブールを占領し、政権樹立を宣言していた。