もっとも、田村厚労大臣は発言の前提として、オリンピックの新型コロナ対策調整会議に感染症の専門家の2人が入り、すでに「専門家の意見として反映している」ことを理由に挙げている。だが、それは主催側の立場からの見解が反映されているのであって、本来であれば、このような状況下でオリンピック開催を受け入れる国内情勢、国民目線での感染リスクが議論されるべきはずが、まったくなかったことを示している。それこそ異常だ。
国民1億が火の玉となって東京オリンピックに突き進むのを決定事項として、いわば参謀本部の存在を無視していることに他ならない。異論は許されない。
「反対意見や直言を排除し作戦遂行」は大戦時と同じ態度
こうした状況は、先の大戦の日本陸軍にも見て取れる。参謀の反対意見や現場将校の直言を互いに無視するどころか、解任してまで作戦を遂行したことによって、日本を惨憺たる敗北国に導いている。
そのひとつが、これまで私が再三再四、政府の新型コロナウイルス感染対策の愚策を例えるものとして言及してきたガダルカナル島の戦いだ。今回で3度目、しかも延長になっても国民への要請を繰り返すばかりの緊急事態宣言。日本の戦局を大きく変え、敗北へのターニングポイントとなったガダルカナル島の奪還にも、3回の攻撃が繰り返され、その度に増派したものの、帝国陸軍の伝統である夜襲による「全軍突撃」に固執したことで、敗退を余儀なくされている。
実は、この3回目の「全軍突撃」にあたって、十分な戦備と補給、空軍の協力を得られない決戦は避けるべきとした二見秋三郎参謀長は更迭されている。さらに現場で指揮をとる川口清健少将は、参謀本部に敵陣への正面攻撃を避けるべきだと進言する。前回2回目の突撃の教訓があった。ところが、その進言が受け入られず、再度、参謀長に見直しを求めたところで現場指揮官を罷免となった。その末路は、歴史が示す通りだ。
また、史上最悪の作戦と酷評されるインパール作戦。この作戦立案にあたっては当初、補給をはじめ無理があるとして、現地の第15軍の幕僚たちは作戦の不可を申告していた。これに立案の中心人物だった牟田口廉也中将が激怒し、同軍の参謀長の解任にまで至っている。それで突撃優先、兵站軽視で決行された同作戦の末路は、多くの日本兵を飢餓と疫病で死に追いやったばかりでなく、日本の敗戦を決定づけるものだった。