まして、現地を視察した秦彦三郎参謀次長が戦局の悪化と同作戦の中止を示唆したところ、東條英機首相兼陸相はその弱気を責めたという。相次ぐ作戦の失敗と戦局の悪化で、戦争指導の継続と政権維持をインパール作戦の成功に賭けていた。それが作戦中止を遅らせた一因となった。菅首相がオリンピックにこだわるのも、感染対策への批判で支持率が落ちる政権の浮揚を狙ってのものだとしたら――。
コロナで苦しむ世界がなぜ「スポーツの力で一つになれる」という発想になるのか
菅首相は4日、東京オリンピック・パラリンピックの開催目的に関して、記者からの質問に書面でこう回答している。
「五輪・パラリンピックは世界最大の平和の祭典であり、国際的な相互理解や友好関係を増進させるものです。安全、安心な大会を実現することにより、希望と勇気を世界中にお届けできるものと考えています」
東京オリンピック開幕までちょうど50日となった3日、大会組織委員会は表彰式で使用される表彰台や楽曲、衣装などを発表した。そこで挨拶に立った組織委員会の橋本聖子会長は、こう述べている。
「世の中にはこんな時代になぜ五輪・パラリンピックを開催するのかという声もあります。しかし、このような困難な時代だからこそ、私たちはオリンピック・パラリンピックを開催し、コロナによって分断された世界で人々のつながりや絆の再生に貢献し、スポーツの力で再び世界を一つにすることが、今の社会に必要なオリンピック・パラリンピックの価値であると確信しております」
スポーツの力で新型コロナウイルスが撃退できるのなら、こんなに苦労はしない。むしろ、国民の生命が脅かされている最中に、こんなきれいごとを豪語するのは、精神論ばかりが先立つ“五輪バカ”の典型と呼んでも過言ではあるまい。竹槍で本土を空襲する爆撃機を墜とすといっているようなものだ。
オリンピックを開催する目的も的を射ず、分科会の存在も無視するように、とにかく突撃する菅政権も同類だ。
そうすると、次に政府がやってくることとして私が懸念するのは、新規感染者をはじめとする感染状況の数の改竄だ。そうやって、オリンピックは安全に開催できると国民を騙す。戦局が悪化しても、都合のよい情報ばかりで戦争には勝てると大本営が発表していたように。よもや、いまの自民党政権、官僚がそんなことしない、と思っているとしたら大間違いだ。なぜなら、わずか数年前に森友学園への国有地売却をめぐって、財務省は思い切り公文書の改竄をやってのけているのだから。またやったとしても不思議ではない。それだけに現政権が恐ろしくなる。