急に誰かを見送ること、おひとりさま患者に死が迫ること

 ミエコの終末期を支えた親族のうち、筆者が取材したのは父方の従姉であるサチコとカズコ、カズコの娘のマミとエミだ。いずれもがんに罹患した人は身近におらず、急に終末期のサポートを頼まれて嵐のような2カ月を過ごした。死にゆく人に伴走するのは、大きなストレスがかかる。今回のケースでは、親戚たちが「本人の意思や希望」を把握することができず、またがんという病気や終末期についての知識に乏しかったため、見送った後も苦悩することになった。

 ミエコ本人はがんであることを知られたくなかったし、高齢で要介護の母を置いていくことになるとはゆめゆめ思っていなかったのだから、そんな人に死の準備を問うていくことは、非常に厳しいことだ。

 もっと早く打ち明けてくれていれば、何か変だと思った時に踏み込んでいれば・・・。様々な後悔が彼女たちを未だに離してくれない。病院にほぼ毎日通っていたサチコは、ミエコの死後に新聞の記事で「緩和ケア」がどういうものかを知った。ホスピスを探して用意までできていたのに、緩和というのは死ぬ準備だと思っていた自分の無知を恥じたという。カズコは「結局、病院っていうのは血が通っていないんだよ」と不信感を抱いたままだ。ミエコと年齢の近いマミとエミは、「50歳になる頃には自分もがんになるかもしれない、ミエコねえちゃんのように苦しむのかもしれない」という恐怖がある。2年が過ぎた今も親族同士で話をしては、こういった感情をやりとりしている。

「医者が急に病室に来て、カーテンをシャッと開けて『秋まで生きていられるとは思わないでくださね!』って言った」という話は事実かどうかわからない。あくまでミエコが語ったことであり、誰も目撃してはいないのだが、4人とも長い間、このエピソードに怒り、傷ついている。

 亡くなる人に伴走し、傷ついてしまった家族や関係者がその後も生きていくために何ができるだろうか。そして、頼る人がいない「おひとりさま患者」は死が迫ったときにどうすればいいのだろうか。残される人について緩和ケア医の新城拓也さんと、グリーフケアに携わる臨床心理士のつばめきさんに、死が迫ったおひとりさま患者について卵巣がん体験者の会スマイリー代表の片木美穂さんと看護師で「おひとりさま患者」について大阪大学人間科学研究科博士課程で研究する浅井美穂さんの4人にお話を聞いた。

(次回〈誰かを見送る前に考えたい「よい死なれ方」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65361〉に続く)