ミエコは3人にさまざまな不満や怒りを、涙を流しながら訴えた。
「医者が急に病室に来て、カーテンをシャッと開けて『秋まで生きていられるとは思わないでくださいね!』と言った」
「肺がん手術の後、医師がなにも連絡をくれなかった。私は指示を待っていたのに」
「病気の説明をちゃんとしてくれない。女一人だからって、なめられてるんだ」
「母を一人置いて私は死ぬわけにいかないのに、何もしてくれない」
頻繁に病院で付き添っていたサチコは、何か辻褄が合わないなと感じながらも、差し迫った状況になって感情的になっているのだろうし、本音をぶちまけているだと考えて、自分がミエコの味方にならなきゃと思ったという。
6月13日、あらためて親戚を交えて病状の説明と今後の方針について、医師と看護師のチームから聞くことになった時、「女だけだと、まともに話してくれない」とミエコが言うので、サチコは夫に同席してもらった。医師の説明を聞くと、5年前の卵巣がんも、4年前の乳がん罹患も自分たちはまったく知らなかったことばかり。思い起こせば、何度も誘ったのに訪問や外食を断っていた頃、電話で呂律がまわらない口調だった頃だ。どうして私たちはあの時、もう一歩踏み込まなかったのだろう。知っていればもっと力になれたはずなのにという後悔と自責の念が、じわじわとサチコたちにひろがっていた。
せん妄なのか本音なのか
ミエコの望みは母と二人で暮らしてきた家に帰ることだった。サチコは病院のソーシャルワーカーたちと話し合って在宅療養を目指しながら、同時に緩和ケア病棟のある病院やホスピスへの転院の可能性も考えることにした。比較的家から近い所にあるホスピスを選んで紹介状を持参し、代理受診をして「その時」に備えることもできた。ソーシャルワーカーたちは「おうちに帰ることがミエコさんの一番の希望ですから、やりましょう」と、訪問診療や介護を担う体制をてきぱきと整えていったが、ミエコは、
「家に帰っても母の面倒が見られない。どうしたらいいの」
「私を追い出したがっている。治る見込みがないから、早くベッドを空けてほしいんだ」
とサチコに訴えた。サチコは「そうかもしれないけれど、スタッフは親切でよくやってくれている」と感じていたので返事に困っていたところ、看護師がサチコにそっと「あれはせん妄なんですよ。がんが進行した患者さんにはよくあることなんです」と教えてくれた。せん妄って何? 精神に異常をきたしているということなの? とサチコは驚いた。