ひとりぼっちでがん治療を受けた5年間
ミエコは教員の両親のもとに生まれた一人っ子だった。父は彼女が30代の時に68歳で急死している。死因は脳出血だが、肝臓がんであったことが後からわかった。当時、大手企業の正社員だったミエコは残された母を守り、十分な時間を一緒に過ごしたいと思ったのだろう、時間や責任にとらわれない非正規雇用に転職した。父は長男だったので「本家」として盆暮れには多くの親戚が集まっており、それは父の死後も続いていたという。閑静な住宅街の中でも古株で、近所付き合いもよかった。母子は健康に気を使い、よく近所の公園を2人でウォーキングしていた。
穏やかな暮らしだった40代最後の年に、母が大腿骨を骨折して介護が必要になり、ミエコは仕事を辞めた。見舞いに来た同年代の母方の従姉ミユキは母に「ミエコ、お腹の調子が悪いらしいの。すごく下腹がぽっこりしていて、何か腫れてるんじゃないかと思うんだけど、見てやってくれない?」と言われたが、ミエコは何も話さなかったという。それは、卵巣がんだった。ミエコは一人で病院に行き、標準治療である外科手術で単純子宮全摘術+両側付属器切除術+大網切除術+骨盤リンパ節廓清を受けた。この時、高齢の母には「けっして親戚や近所に言わないように」と口止めし、付き合いのあった元同僚や友人たちとの連絡も絶っていった。
ミエコには親しくしている別の親戚もいた。父方の従妹である10歳年上のサチコと20歳上のカズコだ。2人は本家の伯父が亡くなってからも伯母やミエコと親しくしていたが、この頃に「訪問は遠慮してくれ」とミエコに言われ、「近くでお茶でもどう?」と誘っても断られたという。サチコとカズコはちょっと変だと思いながら、介護で疲れているのだろうからあまり踏み込むのもなんだし、と電話で話し合って「気を使わせないようにそっとしておこう」となった。ミエコが卵巣がんを患ったことは、母以外、誰にも知られなかった。
1年後、ミエコは巨大葉状腫瘍というがんが乳房に見つかり、東京都内の病院で左乳房と脇のリンパ節廓清手術、術後に抗がん剤治療を受けた。「伯母は歩けるようになっただろうか」と電話をした父方の従妹カズコは、ミエコの呂律のまわらない話し方が気になったことを覚えている。「あの子も50歳だし、更年期が辛いのかしら。それなら無理に押しかけたらかえって迷惑だろうから、そっとしておこう」とカズコは考えて、それ以上なにも聞かなかったという。巨大葉状腫瘍治療後の経過観察となっていた3年目に肺がんが見つかり、乳腺外科から呼吸器内科に移って左右の肺の一部を切除する手術が行われ、化学療法として抗がん剤治療を受けることになった。