発がん物質といえど文化に根付いているお酒。人間がどのように判断するかには難しさがある(写真:mapo/イメージマート)
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(齊藤 康弘:慶應義塾大学政策・メディア研究科特任准教授)

 年末を迎えるこの時期、慶應義塾大学で授業を担当している私は学生と直接議論する機会が増える。がんの基礎について講義する中で、学生たちが強い関心を示した話題があった。本コラムでは、その内容を紹介したい。

 がんは「遺伝子の病気」である。私たちの体を構成する細胞は日々分裂を繰り返しており、その過程で遺伝子のエラー、すなわち変異が蓄積することで細胞はがん化する。こうした変異は自然発生的にも起こるが、化学物質への曝露によって促進されることも多い。代表例としてよく知られているのがタバコである。

 ところが、講義の中で意外だったのは、アルコールもタバコと同じ「発がん物質」であるという事実を知らない学生が多かったことである。中には「少量なら体に良さそう」と感じている学生もいた。しかし、少なくとも科学はアルコールを「百薬の長」とは見なしていない。

アルコールはタバコと同じ「第一類発がん物質」

 世界保健機関(WHO)の専門機関である国際がん研究機関(IARC)は、1987年にアルコールを「ヒトに対して発がん性がある(Group 1)」物質に分類した。Group 1とは、タバコやアスベストと同じ、発がん性について十分な科学的証拠がある物質を指す。

 飲酒は、乳がん、肝臓がん、大腸がん、食道がんなど複数のがんのリスクを高めることが明確に示されており、この分類は現在も変わっていない。つまり、アルコールは嗜好品である以前に、科学的には「明確な発がん物質」なのである。

 アルコールが発がんに関与する中心的な理由は、その代謝過程にある。

 アルコール飲料に含まれる「エタノール」は体内で「アルコール脱水素酵素」によって「アセトアルデヒド」に変換される。このアセトアルデヒドは極めて反応性が高く、DNA塩基と共有結合してDNA付加体を形成することで、塩基対合エラーやDNA鎖切断を引き起こす。これらのDNA損傷が完全に修復されないまま細胞分裂が進行すると、がん抑制遺伝子やがん関連遺伝子に不可逆的な変異が蓄積し、がん化への道が開かれる。

 通常、アセトアルデヒドは「アルデヒド脱水素酵素2(ALDH2)」によって酢酸へと速やかに分解される。

 しかし、このALDH2には機能多型が存在し、日本人を含む東アジア人に多い低活性型では、アセトアルデヒドが体内に蓄積しやすい。その結果、DNA損傷にさらされる時間と量が増加し、DNA修復機構、とりわけFANCD2によるDNA修復経路に多大な影響を及ぼす。飲酒習慣とALDH2多型の組み合わせによって発がんリスクが大きく変化する現象は、遺伝要因と環境要因が相互作用してがんを引き起こす典型例である。