自宅療養をめざして体験外泊へ
7月に入って、隣のベッドの患者の寝言がうるさくてよく眠れないと言っていたミエコは、外泊許可をもらって1晩だけ父方の従妹ミユキのマンションに泊った。楽しくおしゃべりをして、久しぶりに静かなところでぐっすり眠ったと嬉しそうにサチコに話した。
この頃には在宅療養の手筈が整い、8月6日に退院することになった。まず自宅での体験外泊をすることになり、カズコは3カ月間誰も住んでいなかった一軒家でミエコを安全に過ごさせるため、40代の娘2人を動員した。姉のマミが筆者に連絡をしてきた友人である。カズコ親子3人はミエコが帰宅する数日前から家の掃除をし、当日はマミがミエコの母を施設に迎えに行って、妹のエミは豪華な幕の内弁当を買ってきた。マミとエミは10歳ほど年長の「ミエコねえちゃん」がしっかりした「大人の女(ひと)」だとずっと憧れていて、それぞれの結婚式にも出てもらった大好きな人だったから、末期がんと母から聞いても実感がなかったという。
病院から帰ってきたミエコは痩せてはいたが、昔からのイメージ通り「凛としたおねえちゃん」で、よく話し、よく笑ってお弁当もほとんど平らげ、カズコの自家製ぬか漬けや庭でとれたトマトを美味しそうに食べた。カズコはミエコ母子とともに一泊することになっており、夕方にマミとエミが帰ろうとすると、ミエコは駅に続く大通りまでしっかりとした足取りで送ってくれた。
「末期なんて本当なのかしらと思っちゃうぐらい元気だったから、これから良くなるんじゃないかって。だから、あの病院とか医者が悪いんだと思ってたのね。でも、あの時ミエコねえちゃんに『じゃあ、またね』って言えなかったの。なんでかわからないけど・・・言えなかった」と、マミは筆者に打ち明けた。
「どうかここに置いて下さい」
8月6日の退院を目指して、ミエコの訪問診療をする医師が決まり、要介護の指定も受けた。一番年上で近所の人たちもよく知っていたカズコは、ケアマネージャーとミエコの在宅療養について打ち合わせをしながら、母がこの家で過ごすのは無理だろうからと老人ホームを探し始めた。しかし、ミエコの容体は悪化していき、7月の中旬頃からは胸水が溜まり、息苦しさが増してきた。注射器での採取では追いつかなくなり、ドレーンを挿入することになった。医師は在宅療養の準備は整っているから、1日でも早く帰った方がいいと助言したが、ミエコはこれ(ドレーン)を付けたまま帰宅するのは無理だと言うようになった。そして、
「お願いです、これが付いている間はここに置いて下さい。この病室に置いて下さい」
と医師や看護師に懇願した。「今、帰らないと帰れなくなりますよ」という言葉が急きたてられるように感じたのだろうか、あるいは死が間近に迫っていることを実感させたのだろうか。