3カ月後、よく晴れて初夏並みの暖かさとなった4月のある日にミエコは母をショートステイに預け、「治療が終わったら、すぐに帰ってくるから」と、これまで通り一人で支度をして抗がん剤治療を受けるために入院した。しかし、その時点でがんは肝臓、副腎、骨に転移していた。非常に進行の早いがんだったのだ。

3人の従姉に突然のSOS

 入院したミエコは予定されていた肺の術後化学療法ではなく、全身化学療法に変更した抗がん剤治療を受け、多発骨転移の痛み緩和と骨折予防のために放射線治療も受けたが、肝臓や副腎の腫瘍は増大を続け、貧血も進行した。入院してから1カ月半が経った5月30日、主治医はミエコに今の治療は効果が出ないため、次の抗がん剤治療(二次治療)をするか、緩和医療を受けるかの選択をしてほしいと告げ、「どなたか身内の方と一緒に詳しい説明を聞いてもらいたい」と言った。ミエコは年齢の近い母方の従姉ミユキに連絡したが、会社で重要な役割についているため、仕事を休めないと断られてしまった。

 まず一人で説明を受けたミエコは、免疫チェックポイント阻害薬を使う免疫療法のことや他の病院でセカンドオピニオンを受けたいと申し出たが、免疫療法でもリスクは高いこと、セカンドオピニオンは予約に1カ月ほどかかる可能性があり、そうなると間に合わないと主治医に告げられた。

「ミエコさんのご意見が一番大事です。どうか家族で話し合って決めて下されば、私たちは全面的にサポートしていきます」と医師に言われたが、90歳近い介護の必要な母に自分のことを委ねるわけにいかないと考えたミエコは、父方の2人の従姉に手紙を出した。

「この話をしていただいてからも短く、家族で話し合いをと急に言われましても。でも、私まだ他に何かと思ってしまい、お忙しいと思いますが、お知恵、お力を拝借できませんでしょうか。身勝手なお願いですが、よろしくお願いいたします」

 手紙を受け取ったサチコとカズコは仰天した。この4年間、ミエコにも伯母にも会っていなかったが、電話や手紙のやり取りは続けていたので、自分たちより若いミエコが5年前からがんを患い、しかも今、末期になっているとは思いもよらなかったからだ。親戚を見渡してもがんで亡くなった人はいないし、自分より若い人を見送った経験もない。あわてて病院に駆けつけ、ちょうど来ていたミユキと3人でサポート体制を分担した。50代で独身、両親もすでに送ったミユキは仕事の手を離せないが、比較的近いところに住んでいるので夜間の見舞いや洗濯ものなどを、1時間ほどかかるが都内に住んでいる60代のサチコが昼間の付き添いとさまざまな病院の手続きを、離れた千葉県に住む70代のカズコは伯母の処遇について対応することにした。