病院で付き添っていたサチコは、きっとミエコは自分の体調から、帰る自信がなくなったのだろうと思った。この頃、サチコは看護師から「ご本人は何とおっしゃっていますか?」と何度も尋ねられた。

 このときのことを、後にサチコは筆者にこう語っている。

「ホスピスへ転院する手配もできていたし、自宅の方も体制は整っていました。だから、ミエコちゃんが落ち着いている時に『どうしたい?』と聞いたのだけど、『ここに置いて下さい、管を付けては帰れない』って言うんです。私には痛いとか苦しいとか、一言も言わなかったんですが、よほどきつかったんでしょうね。

 私は一緒に暮らした家族ではないから、どちらも強く押し付けるわけにはいきませんでした。従妹としてのミエコちゃんは知っているけれど、こんな時にどうしたいかまでは、わからないもの。お母さんには逐一、電話で報告していたのだけれど、お母さんも決められなかったんです。

 ミエコちゃんは自宅でお母さんと最期の時間を過ごしたら、お母さんを苦しめると思ったんじゃないかな・・・90歳の伯母が自分のこともほとんどできない中で、娘を看取るのは過酷すぎますよ」

母娘2人のひっそりした生活から、最期は大勢の親戚の手を借りて

 サチコが「本人の意思」にどこまで踏み込むかを悩んでいる頃、ミエコの母は自宅からほど近い有料老人ホームに入所することが決まった。一方のミエコのほうは、どこで最期を過ごすのかは決まらないまま、8月になった。医師から「これから鎮静効果の高い薬を使うことになるので、意思疎通ができなくなるかもしれない」と説明されて、サチコは大急ぎでミエコの母を病院に連れてくるように手配した。母が娘を見舞うのは、これが初めてである。母はミエコが大好きないなりずしを持参し、まだ意識のある娘に、

「お母さん、老人ホームが見つかったのよ。だから、もう心配しなくても大丈夫なのよ」

 と話した。ミエコはうなずいて、いなりずしを母と一緒に少し食べた。その時、付き添っていたサチコは看護師に「ちょっと」と病室の外に呼び出され「こんなことを申し上げるのは、あれなんですけれども、お母さまはキャッシュカードなどの大事なものがある場所をご存じでしょうか?」と言われた。そういえば、財産などのことは誰も知らない。

「わかりません・・・でも、そのあたりのことは私たちで、なんとかします」

 とサチコは答えて、あわてて手帳に「通帳、財産かくにん」とメモした。 

 それからミエコは眠っていることが増えた。母が見舞いに来て1週間後、看護師が「誰か、そばにいてあげる人はおられませんか。もう、最期が近いです」とサチコに話し、ナースステーションのそばにある部屋にミエコを移して、もう一つベッドを用意してくれた。親族の男性が休暇をとって車でミエコの母を病院に連れて来てくれ、3日間を母子水入らずで過ごした後に、ミエコはこの世を去った。享年54歳。最初の罹患から約5年あまり、母と娘2人だけの秘密にしていたミエコのがん闘病は、最後に多くの親戚を巻き込んで終わった。