銃撃事件のあった米国ジョージア州アトランタのアジア系マッサージ店の外で祈りを捧げる女性(2021年3月21日、写真:ロイター/アフロ)

(福島 香織:ジャーナリスト)

 この1年の間に米国や欧州で急に目立つようになったアジア系に対するヘイトクライム(憎悪犯罪)の問題は日本人にとっても他人事ではない。

 理由は大きく3つある。1つは、日本人もアジア人であり、欧米に暮らす日本人、日系人の安全が心配だということ。もう1つは、同様の民族を理由にした憎悪・暴力は日本の社会にも起き得る問題であり、これを起こさないためにどうすべきかを常に考えなければいけない、ということ。

 そして、最後が重要なのだが、欧米式民主主義社会でこうした問題が起きると、ポストコロナの世界で主導権をとり、自らの価値観で新たな国際社会のフレームワークを構築しようとしている中国共産党政権に利用される、ということ。民主主義国家で発生するヘイトクライムの急増は、中国に対してウイグル人へのジェノサイドを批判するときの反論に利用されるし、西側社会の普遍的価値が脆いものだと証明することにもなる。それだけでなく、アジア諸国と欧米の離反工作にも利用され、国際安全保障上も深刻な影響をもたらし得る。つまり、ある社会の民族差別問題は、日本を含む西側民主主義国家の安全保障問題としても考えねばならない、ということだ。

 だが、国際安全保障上の問題への理解を呼び掛けつつ、人種差別的ヘイトクライムを非難することは、なかなか報じ方の難しいテーマでもある。なぜなら、それを意図的に曲解し、内部の対立を激化させたり、さらに憎悪を煽るために利用したりしようとする動きもあるからだ。

新型コロナで火がついたアジア系への憎悪

 私は、猛烈なヘイトが社会に奇妙な形で拡大するような現象があれば、そこになんらかの悪意ある世論誘導があるのではないか、と疑っている。少なくともSNS時代は、それが可能である。

 そんな風に改めて思ったのは、米国誌「フォーリン・ポリシー(FP)」に掲載された「反アジア攻撃は米国の利益を損なっている」というタイトルの華人系研究者の論評と、それをツイッターで転載した華人ジャーナリストに対する激しい批判をみたからだ。