私たちは遺族に退室してもらうと、さっそく病室内で検視に取りかかる。

 写真撮影をするため、遺体の全身にかけられていた白い布をめくった瞬間——私は唖然とした。

 頭のてっぺんからつま先まで、びっしりと斑点状になった皮下出血(毛細血管が外圧によって破れた痕跡)が認められたからだ。全身のいたるところが、いわゆる青たん(青あざ)だらけであった。頭部への外圧によって生じた頭蓋底骨折の痕跡となる、目のまわりがパンダのようになる「ブラックアイ(パンダ目症候群)」や、耳の裏側にアザができる「バトル徴候」も出現している。

「班長、これはあきまへん。明らかに殺しですわ。1階にいた社員らの様子も尋常やなかったし、会社で集団リンチがあったのかもしれません」

 私の見立てに班長もうなずきながら、「ご遺体を署に搬送して、司法解剖の段取りを進めるで。傷害致死か殺人で鑑定処分許可状の請求や」と指示を出す。

 事件の判断をした班長は、すぐに署の刑事課長(警部)に電話で「強行犯係全員の呼び出し」を要請。さらに府警本部の捜査第一課や検視官、機動鑑識班にも、殺人発生の一報を入れている。

社員たちの証言

 被害者の男性は、署の管轄内に本社を置く中堅メーカーの営業課長だった。この会社は明治期創業の老舗で、従業員は約100名。数年前から若い社長(42歳)が先代から経営を引き継いでいる。

 捜査第一課や検視官の出動を要請した私たちは、そのまま病院にとどまり、院内に集まっていた会社関係者から事情聴取をすることになった。

 複数の社員から聞き取った証言によれば、男性はおとなしい性格の持ち主だったようだ。そのためか、日常的に応接室に呼びつけられては、業務上のミスなどを理由に社長から怒鳴られていたという。

 そのときの様子を、ベテラン社員が語る。

「応接室からは、『すみません。許してください』と泣いて許しを乞う、(課長の)悲痛な声がたびたび聞こえていました」

 別の社員は、応接室で発生した“大きな音”を思い出す。

「そういえば、壁を殴ったり蹴ったりしたときにするような“ドンドン”という大きな音のあとに、課長のうめくような声を聞いたことがあります」

 同様の証言は、複数確認できた。しかし、誰ひとりとして、社長が男性に暴行を加える瞬間は目撃していないという。それどころか、社長の怒声を聞いたことがあると証言した社員たちも「警察に通報なんかしたら社長に仕返しをされるかもしれません。とにかく社長には逆らえないんです」と口をそろえる。

 男性と同様に、社長から怒鳴られたことがある社員も何人かいたが、社長の暴力についてはかたくなに認めようとしない。

「怒鳴られたほかに、暴行されたことは」

「いえ、ありません」

 私の質問にそう答えた社員に、任意で腕や足などを見せてもらう。すると男性ほどではないが、数カ所の皮下出血が認められた。

「打撲傷のようですね。このケガはどうされたんですか」

「これは、自転車で転んだときのケガです」

 多くの社員が、こんな調子であった。

 さらには、一部の幹部社員にいたっては、事件を隠ぺいする動きも見られた。会社の対面を保つためか、「最近、課長は体調が悪かった。病気なのに無理して働いていたのが亡くなった原因では」と、あからさまに社長をかばう証言をしている。