鬼を人に戻す方法は「あります」
政府が鬼の滅殺を推進するのは、社会的に大きな問題があった。
鬼はすべて元人間であり、見ようによっては人間が、一時的に陥っている病状のひとつである。実際に作中では、人間社会に被害を与えることなく生存する鬼として、医師の「珠世」と助手の「愈史郎」が登場する。
その珠世は「鬼を人に戻す方法」が「あります」と断言し、しかも「どんな傷にも病にも必ず薬や治療法があるのです」と述べて、竈門炭治郎少年に鬼の治療法を確立するための協力を要請している。
ここには、鬼も人間として生きられる、人間に復帰できる──という希望と思考を読み取れる。もし珠世の言う通り、人間に戻る可能性があるとしたら、当時の法理に照らし合わせても、
見た目がどれだけ異様で、多くの人々に忌み嫌われようとも、太陽光に当たれなくても、法律上では“少数派の気の毒な人間だ”と言って差し支えないのである。
法的には鬼も人間である
作中の鬼たちは、原則どれも「鬼舞辻無惨」の意思で作られている。彼らは見た目が異常で、「血鬼術」なる異能を使う者もいる。しかも不死身だ。鬼はこのように死の概念を超えた特別な人間に過ぎない。このことは仮面ライダーやロボコップなどの改造人間を連想すれば理解されよう。そこに国民としての権利を失権する理由は実のところ何もない。
もちろん鬼の多くは、国民が伝統的に培ってきた倫理や道徳などお構いなく、「人間を喰べる」ことを好む悪魔のような存在である。ただ、それでも法的に、かつ論理的に、鬼が人間であることは──鬼の実在を認めた上で意図的に、人間の範疇から切り離す法律を作らない限り──覆しようのない事実なのだ。
もし民間団体が私的判断で鬼を殺害すると、それは「殺人ノ罪」として刑罰を受ける事案になる。このような自力救済を合法行為として許容したら、日本政府は国際社会から孤立するだろう。
だが、不死身である有害生物の脅威を、警察や軍隊で対応するのはほとんど不可能で、専門家である「鬼狩り」の剣士以外になし得ない難業である。
こういう状況で明治維新後の新政府が、鬼および鬼狩りの存在に気づいた場合、どういう手を取りえるだろうか。その答えは一つしかない。剣士たちの活動を非公認で支援して、悪鬼滅殺を密かに推進させるのである。
ここまで整理した当時の状況だけでも一定の推測が可能となってくる。ここから私見を並べていこう。わたしは鬼殺隊が結成されたのは、明治初期ではないかと推測する。その理由は、①組織名、②活動規模、③廃刀令の3つである。