鬼滅の刃『善逸伝』は昭和に大学ノートで書かれた?
歴史家が考える『鬼滅の刃』①-2:『善逸伝』の一考察(後編)
2020.12.7(月)
乃至 政彦
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(乃至 政彦:歴史家)
◉『善逸伝』の一考察(前編)はこちら
【ネタバレ有り】記事は最終回を読んでから
この記事には『鬼滅の刃』第23巻に掲載されている最終話のネタバレが書かれております。特に未読の方は閲覧にご注意くださるよう、お願い申し上げます。
弐ノ鍵:《筆力》赤点高校生でも熱読可の秘史
歴史文献『善逸伝』の本文にどういうことが書かれているかを探ってみたい。本文が不明でも内容を探る方法はある。皆さんも書籍の現物が入手できないとき、書評からその内容を思い浮かべることがあろう。これと同様に、吾妻善照(あがつまよしてる)少年の反応からその内容を想像してみるのだ。
善逸の曽孫と思われる善照少年は、「こないだも赤点ばっかりだったでしょ!!」と姉の燈子(とうこ)に叱られるぐらい勉強が苦手である。平成生まれのどこにでもいる、すけべな高校生と言えるだろう。そんな善照少年が、自宅の物置近くで『善逸伝』を読み、落涙していたのだから、同書は古典に通じていないと読みにくい草書体でなく、現代人が見慣れた楷書体で書かれていたと考えていいだろう。
同書を半ば辺りまで読んだ善照少年は、「凄ぇ!! みんなで鬼のボス倒したじゃん!! やったじゃん!!」とボロ泣きした。この反応から『善逸伝』は、「鬼のボス」を普通では倒せない強敵として、登場人物である「みんな」を感情移入しやすい味方として描いているのは間違いない。燈子も同書を「ひいおじいちゃんの嘘小説」と呼んでいることを併せて考えると、文芸性の強い伝記に仕立てられていたのだろう。
これら善照少年を感動させたところは、ご先祖さまである善逸自身が、それぞれの人間や鬼たちに対して抱く想いがそのまま反映されていよう。「全集中・常中」を習得させるため、善逸を「一番応援」したという胡蝶しのぶについても詳述されていることと思う。
ただ、「鬼」およびそれを狩る「鬼殺隊」の存在は、古来より双方が世間に隠匿し続けてきた非公開情報であった。いくら「最後の鬼」を倒し、その組織が解体されたにしても、戦死者たちの覚悟と最期を想うと、関係者たちは他言することを控えたに違いない。伴侶が一時期「鬼」だった事実のある善逸翁もまた同じ想いだったはずだ。
しかし同書は文芸的な性格を色濃く残して、前半にその顛末を詳述した。これは何者かの強い熱意によって、このくだりを子孫たちに読んでもらうため、物語を紡いだことを示していよう。ただ、この前半にある「最後の鬼」を退治するための物語とするならば、外題は「最後の鬼を退治する物語」を意味するものでも良かったはずでである。例えば『無惨退治記(意味:最後の鬼である無惨を退治した記録)』とか『我妻物語(意味:我妻という人のお話)』『鬼滅奇譚(意味:鬼を滅ぼす不思議なお話)』になっていたとして不思議はない。
だが、同書の外題はあくまで『善逸伝』なのである。