(乃至 政彦:歴史家)
歴史ファンならずとも知られる「敵に塩を送る」の古語。上杉謙信が宿敵である武田信玄に甲斐ではとれない塩を送ったという逸話にちなんだものだ。こんなことはあり得ない、もしくは謙信はこの機に乗じて高値で売りつけたのだという人もいるだろう。今回は逸話の起源を見るとともに、史実と照らし合わせながら真偽を探る。(JBpress)
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“逸話”と“古語”
皆さん「敵に塩を送る」の古語は、ご存知だろう。
念のため簡単に説明すると、海に面していない甲斐の武田信玄に対し、周辺大名が塩の輸出を停止して、かれらはその宿敵である越後方にも声をかけた。だが、越後の上杉謙信はこれに与することなく、武田領へ塩を送ったという逸話に因む古語である。
ただし、この古語に対して「戦国大名が敵国に、
なぜなら、これらは逸話の中身を確かめず、言葉への印象だけで雑感を述べているに過ぎないからだ。答えは、逸話の出典史料を探ってみると、意外なほどあっさりと書かれてある。
そこで今回は、古語のもとになった逸話の起源を見るとともに、史実との照らし合わせを行なって、その真偽を探っていこう。
無償で送ったり、売ったりしていない
この古語は、江戸時代初期から幕末まで、諺(ことわざ)として使われた形跡がなく、明治から昭和の時代に定着したもののようである。近現代にかけて発刊された書籍に、道徳的美談を並べることが増え、そこで訓話の見出しとして「敵に塩を送る」の語が頻用された。こうして塩送りの“逸話”は、“古語”に変換されたのだ。
ここで古語の「塩送り」と、逸話の「敵に塩を送る」を別のものとして見ていこう。
塩送りの逸話は、江戸時代の近世から明治昭和の近代まで、どれも一貫して次の内容のようにされている。
「今川氏真と北条氏康が、武田信玄へ塩の輸出を禁止した。武田領の甲斐・信濃・上野の民衆は、これでとても困窮した。事態を聞いた謙信は、長年の宿敵である信玄に『わたしは弓矢で戦うことこそ本分だと思うので、塩留めには参加しない。だから、いくらでも越後から輸入するといい。わたしからは、決して高値にしないよう商人に厳命しておく』と手紙を送った。これを聞いた信玄とその重臣たちは『味方に欲しい大将よ』と感嘆した」
一読してわかるように、謙信は無償で塩を大量に送ってはいないのだ。また逆に高値で売りつけたりもしてもいない。それどころか、定価を改めさせないとも伝えている。そして、この決して値段を変えさせないという謙信のスタンスは、どの編纂史料でも一致している。
これで、近年言われる「無償で送った」というリアリティのない印象論も、「謙信は実は荒稼ぎをした」という異論も間違っていることがわかるだろう。これは古語からの印象論であり、もとの逸話だと謙信は、塩の値上げを禁止したということになっているだけなのである。