(乃至 政彦:歴史家)

【ネタバレ有り】記事は最終回を読んでから

 歴史家の乃至政彦です。最初に断っておくと、このコラムは『鬼滅の刃』を最終回まで完読した人たちに向けて書いている。

 もし最終回を未読の方がおられたら、鬼滅記事を求めて飢餓状態になる気持ちもわかるけれど、この先ネタバレだらけなので、ひとまずその餓(かつ)えを抑えて、「プイッ」と身を捩って、周り右されんことを切望したい。それぐらいの我慢なら長男でなくてもできると思う。単行本の最終巻は、全国および電子の書店に並んでいる。

 既読の方には、筆者が連載の最終回まで確認済だが、単行本の最新刊は未確認であること(つまり連載時の情報が単行本で更新されていたら、この記事が成立不能であるかもしれないこと)をご了承の上、読み進めてもらえば幸いである。 

『鬼滅の刃』コミックス23巻(集英社)

『善逸伝』という歴史資料

 人気漫画『鬼滅の刃』の最終回には、重要人物のひとり・我妻善逸(あがつまぜんいつ)の名前を冠した和綴(わとじ)の文献が登場する。その外題(げだい/題名、表題、タイトル)は、そのままずばり『善逸伝』だ。名前から善逸の一代記と推定できる(この時代の実録は、それ以外の内容で、こういう題名にすることは原則として無いため)。一連の事件を叙述した歴史資料であるに違いない。

 しかしその実態は謎だらけである。その具体的内容がどのようなものであるか本編でいっさい紹介されていないためだ。

 ずっと我妻家に保管されていたようだが、誰が何のために書いたのかわからない。一読者として好奇心を大いに擽られるところだ。

 私が稼業とする歴史研究の手法で探れば、連載の最終回で披露された情報だけで、その内容をいくらか想像できそうに思う。たとえば『善逸伝』を歴史資料として眺めると、重要な情報が3点ほど認められる。まずこれらを分析して、その実相をある程度まで絞り出し、最後にそこから導き出される私見を述べることとしたい。

壱ノ鍵:《外題》──作者は我妻家の者

 一つ目の情報は『善逸伝』という外題だ。ここには、作者を特定する手がかりが隠されている。

 まず外題から言えることは、これが善逸の伝記であることだろう。また、それと同時に、善逸本人による自伝(自叙伝)ではないことも指摘できよう。

 なぜかと言うと、善逸が読み書きを学んだであろう明治末期から大正初期にかけて、自叙伝の外題は、それとわかる名称がつけられていたからである。

 同時代の例をあげれば、福沢諭吉『福自伝』、徳富蘇峰『蘇峰自伝』、高橋是清『高橋是清自伝』、大杉栄『自叙伝』、横山大観『大観自叙伝』などがある。いずれも自伝とわかる外題となっていよう。もし『善逸伝』が自伝なら、『善逸自伝』という形式の外題に落ち着いていたはずである。

 ここで、同書が我妻善逸の伝記ではあるが、本人が書いた作品でないらしいことが見えてくる。

 さらに追及しよう。無名人物の一代記を外部向けに書くとき、その外題にその人とわかるようフルネームが冠せられる。織田信長クラスの有名人なら『信長公記』という外題もありえるが、善逸のような人物を主人公とする外部向けの伝記なら『我妻善逸伝』とするのが普通だ。それがなぜか『善逸伝』となっている。ここから、この伝記の想定読者が見えてくる。これは、我妻家が子々孫々にわたり、太祖たる善逸の事蹟を内部に語り残していくため作られたと考えられるのだ。

 ちなみに、善逸が自分を伝説の勇者らしく演出するため、自らこの伝記を書き上げて、この外題にした可能性を想像する人もいると思うが、たぶんそれはありえない。われわれは『○○(個人名)伝』という題名に接すると、ヒロイックな主人公の偉大な物語を想像しがちだが、それはそうした娯楽作品が増産される時代の受け止め方で、善逸が生きた時代の感覚ではないはずだからだ。

 したがって『善逸伝』の作者は、善逸ではなく、別の人物であり、それは我妻家の誰かである可能性が高いと言える。(後編へ続く)

【乃至政彦】歴史家。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。著書に『謙信越山』(JBpress)『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)、『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』(河出書房新社)など。書籍監修や講演でも活動中。昨年10月より新シリーズ『謙信と信長』や、戦国時代の文献や軍記をどのように読み解いているかを紹介するコンテンツ企画『歴史ノ部屋』を始めた。

【歴史の部屋】
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