参ノ鍵:《装幀》和綴本なのに横書きである謎
最後の鍵は、その装幀である。『鬼滅の刃』最終回がお手許にある方は、善照少年が『善逸伝』を読んで泣いているコマを見てほしい。そこに2つないし3つの特徴を読み取れる。お気づきになられただろうか。
まず、なぜこの時代に和綴本なのかという謎である。同書が書かれたのは、西洋文化が日本に流れ込んで半世紀近く経った大正前期以降である。その時代に何者かが子孫に書き伝えるものがあったとして、それをわざわざ和綴本にするだろうか。すでに手製の和紙よりも機械製の洋紙の方が大きな需要を占めており、和綴本は希少と化していた。製本技術も西洋式が一般化していたであろう。なのに、『善逸伝』はなぜか和綴本として装幀されている。
ついで、重箱の隅を衝くわけでもないが、外題の『善逸伝』が旧字体ではなく、新字体で書かれている謎である。大正時代から昭和初期にかけて成立した手製の本なら、ここはやはり『善逸傳』と書かれるべきであろう。
そして最後に、『善逸伝』が読まれているコマを改めて見直してほしい。同書が縦書きの場合、その外題は善照少年の右手が触れる部分にあるべきである。ところがこれがそうではなく、なぜか左手のところに書いてある。つまり、裏表紙の部分だ。ジャンプコミックスの単行本で言うなら、中身は縦書きで、例えば『鬼滅の刃』23巻の場合、右手はおもて表紙にある竈門兄妹の笑顔に、左手は無機質なデザインの裏表紙に触れることになる。これが横書きの書籍だと、おもて表紙と裏表紙は逆になる。つまり、善照が読んでいる『善逸伝』は、横書きの本である可能性が高いのだ。
このように装幀の謎を考えると、『善逸伝』は、面倒にもわざわざ和綴本の装幀を選んでおり、その成立時期は新字体が普及した戦後の昭和中期以降であり、しかも中身は横書きである可能性がとても高いと言える。
さて、ここからはこれら『善逸伝』読み解きの鍵に、私見を交えて、その成立背景を推測していきたい。