呪う側の論理
法律は社会秩序維持のため、不特定多数、千差万別の感情をもつ人間の行動を制限し、処断するためにつくられた。
法律が発布されたのは紀元前3000年に遡る。古代エジプトの法律には社会的平等性の尊重、公平性の重視を特徴の民法があったという。
古代メソポタミア文明から拡大したバビロニア帝国の初代王ハンムラビは、紀元前1760年にバビロニア法典を発布。
国の至る所に法典を散在させ、国民が閲覧できるように体制を整えた。
だが、人間の性合は、己が愚弄されれば人を恨み、憎き相手には呪いをかけたくなるもので、法律は人間の感情の内側に進入して予防したり、裁いたりすることはできない。
恨みといった目に見えない現象には、法律や警察も無力なのだ。
もし、呪いの心が生まれ、呪的な行動をとったとしても、それが悪辣不義と一方的には言い切るわけにはいかない。
なぜなら、人間は社会的生物であり、常に立ち位置というものが存在するからである。
鼠小僧次郎吉は大名屋敷のみを狙って盗みに入り、貧しい人たちにそれを施したとされ、義賊として伝説化された。
施された貧しい人たちの恩義の論理をとるか、それとも大金を奪われた大名の欝憤の視点に立つか。どちらの側にも抗弁はある。