「巫」の文字は音楽や舞によって神を招く技術という意味がある。巫女は神霊、精霊、死霊など超自然的存在と直接交流し託宣、呪い、占い、祭儀を執り行う。

 聖徳太子は仏教の保護者であるが、陰陽道にも造詣が深く、冠位十二階は天体の星の十二衛星を群臣になぞらえている。

 日本では奈良時代に、神や魔物の怒り、人の恨みによる呪いや生き霊といった概念が定着し、それは天災や疫病の原因とされた。

怨霊、物の怪、妖怪が闊歩した時代

 闇に光が当たることなく、闇は闇のままの、鬼、妖怪といった魔物が存在した平安時代は呪いの時代として始まった。

 8~9世紀、平安京は、疫病で死ぬ人、餓死した人の死体が市中に放置され、鬼は人肉を食らうが、人が鬼と化し、飢えを凌ぐため人肉を食べた。

 それがさらなる疫病の蔓延につながるという悪循環に陥った。

 天皇にとって戦乱や疫病、天変地異は鬼の仕業と考えられていた。怨念が鬼となる。鬼は、もともとは中国で死者を指す言葉であった。

 恨みを抱きながら死んでいった者が怨霊として顕われる。さらには呪詛する者がその怨念によって生きながら鬼となって恨みを晴らそうとする。

 呪詛には災厄を生む効果がある。

 宮中においては、貴族や僧侶、神官らが国家転覆を謀り、時の天皇や権力者を呪詛する政争が日常的に発生し、呪われる前に呪うということも頻発した。

『続日本書紀』には「誰かが呪詛を行ったかかどで処刑された」とか、「呪詛禁止の勅令が発布された」との記載もある。

 だが、禁止令を顧みず、呪いが繰り返されたのは、呪われる恐怖とは対照的に、他人の不幸は一種の快感という人間の感情によるものも含まれるからであろう。

 そして、呪う人も呪われる側も、ますます奈落へと引きずり込まれる負のループへと陥ったのである。