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(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

まったく違う二つの事件の共通点

 ミッドウェイ海戦の話(前編後編)に続けて、長篠合戦の話(前編中編後編)を書いたのには、わけがある。時代も場所も性格もまったく違う二つの事件は、実は「決戦の構図」という意味では、よく似ているからだ。

 長篠合戦は、武田勝頼が長篠城を攻めることによって徳川軍の主力を引っ張り出し、一気に叩きつぶそうとしたことから起こった。一方のミッドウェイ海戦は、日本艦隊がミッドウェイ島を攻撃することによって、米空母部隊を引っ張り出し、叩きつぶそうとしたことから起こった。

 敵の拠点を攻撃することで脅威を与え、救援のために出てきた敵主力を一挙に叩く。実は、戦国時代には、こうした図式で起きた決戦が、いくつもある。

 たとえば、武田信玄上杉謙信の間で計5回戦われた川中島合戦のうち、最大の激戦として知られるのは、1561年(永禄4)の第4回合戦である。このときは武田軍の前線基地であった海津(かいづ)城を上杉軍が圧迫したため、信玄が救援のために出陣し、両軍の主力どうしがマトモに激突することとなった。謙信は、最初から武田軍に決戦を挑むつもりで川中島に出陣し、海津城を圧迫したのである。

川中島古戦場にある武田信玄と上杉謙信の銅像(長野県)。

 また、1589年(天正17)に伊達政宗が会津の蘆名氏を破った摺上ヶ原(すりあげがはら)合戦も興味深い。蘆名氏と雌雄を決しようとした政宗は、まず会津盆地の東の玄関口を押さえる猪苗代氏に調略を仕掛けて、寝返らせた。そして、蘆名軍が猪苗代城討伐に出陣したことを知ると、伊達軍の主力を率いて一気に猪苗代方面に向かい、蘆名軍の撃破に成功したのである。

伊達政宗像(Wikipediaより)

 話を戻そう。長篠合戦とミッドウェイ海戦との間には、もちろん相違点もたくさんある。しかし、いくつもの共通点があることにも気づく。

 まず、決戦を企図した側が、結果として返り討ちにあっていること。そして、武田勝頼も日本艦隊も、相手の戦力を低く見積もっていたことである。というより、両者とも相手の過小評価を前提として作戦を立てて、失敗したのである。そうなった原因は、明らかだ。

武田勝頼像(Wikipediaより)

 勝頼の場合、武田軍の最盛期に武将としての実績を積んだ、という経歴を見逃すことができない。日本艦隊の場合も、真珠湾攻撃以来の連戦連勝の中から作戦構想が生まれている。つまり、両者とも成功体験をベースに作戦を立てた結果、敵の戦力を低く見積もり、いつの間にか自分たちに都合のよい計画となっていることに、気がつかなかったのだ。

連合艦隊の司令長官・山本五十六。(Wikipediaより)

 このように、一見すると時代も条件もまったく違う戦いを比較したとき、その中から共通する「原理」のようなものを抽出できる場合がある。そうした「原理」からは、古今洋の東西を超えた、普遍的な真理が見つかるものだ。

 長篠合戦やミッドウェイ海戦について書かれたものは多い。二つの戦いを分析しながら、相違点と共通点とを自分なりに考えてみると、面白いだろう。

 

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