戦前には多数の軍人研究者を員外学生として受け入れた東京帝国大学であったが、戦後の東京大学は自衛官の大学院への受け入れ自体を拒んできた。

 したがって、院生として学べる大学は学費の問題などから東大を除く旧帝大系であったが、1967年以降はここも門を閉ざし、費用の嵩む外国の大学院へ留学することになり、必然的に数は限られた。

 しかし、防衛には国家の存続が懸かっており不足する研究者を養成するために、防衛大学校に大学院が併設されることになる。

 そもそも、自衛戦争が認められている国際社会にあって、日本と国民の運命を決するような研究を一意的に排除する権限が日本学術会議にあるはずがない。夜郎自大もここに極まれりであったのだ。

おわりに

 2人以上が集まれば意見の相違や上下関係が生じる。その集合体の国家ともなれば価値観は多様で争いも起きる。

 国内では何とか纏めることができても、他国とは上手くいかないときもある。そこに紛争や最悪の場合は戦争に発展する要素が存在する。

 また憲法で「戦争の放棄」を謳っている国がいくつかあるが、軍隊も交戦権も放棄していない。

 当然のことながら受けて立つ自衛戦争は認められ、「座して死を待つ」国などどこにもないからである。もちろん、安全保障問題や軍事研究は国家が総力を挙げて行っている。

 憲法制定は米国占領下で行われ、当時の日本は武装解除されて無防備の状態にあり、当然のことながら日本の安全は米国(米軍)の責任という日米双方の内意があった。

 したがって、独立した暁には日本は独自の軍事力を持つべきであったが、吉田茂首相は復興のため経済重視で、「自分の内閣」ではという〝限定付き″で軍事力を持たないとした。

 岸信介内閣で主権国家の自覚を持つべく、日米安全保障条約を改定したが、その時の反対運動に見られた以上に軍隊保有は鬼門で、歴代内閣は安易についてきたと言えよう。

 しかし、ジョージ・ワシントン初代米国大統領の発言にあるように、「外国の純粋な好意を期待するほどの愚はない」わけで、日米同盟下の日本ではあっても、「自分の国は自分で守る」という最小限の決意と努力は欠かせない。