毎日新聞も朝日同様に連日のように1面トップで報じ、また3日付「余禄」は「菅首相の前代未聞の任命拒否である。(中略)(拒否された6名は)安保法制などで政府に批判的な学者たちだといわれる。もしもそれが理由なら、日本の学術を代表する機関への政治介入と非難されて当然だ」という。
毎日新聞が「官邸介入『16年から』」(8日付)、「任命拒否 18年にも検討」(4日付)と報ずるように、学術会議の在り方は以前から問題にされながら、メスを入れるまでには至っていなかった。
内閣が変わった機会であり、しかも本内閣は「悪しき前例」や「普通でないこと」などを正面から見直そうとしているわけで、政治の本質に復帰したとみるのが正当ではないだろうか。
ただ騒いで争点化すればいいというのでは軽薄の謗りを免れないし、とても社会の木鐸などではあり得ない。
東京新聞も前2紙同様に2日から「学者提言機関に異例の介入」(1面)、「学問の自由 侵害」「政権批判の学者排除か」(23面全面)と、「問題あり」とする大々的な報道である。
3紙は慣例主義を良しとするのみで、首相に任命権があることを報じようとせず、端から争点化に躍起になっていることが分かる。
自衛官の「学問の自由」を奪う
学術会議の声明によって、大学などは研究を制約されてきた。真に必要な研究ができなくなったという点で、まさしく「学問の自由」を剥奪したのだ。
同時に、その影響は多くの自衛官が日本の国立大学の大学院へ行けなくし、また大学院に在学中の院生は上級課程への進級が不可となった。
昭和42(1967)年、修士課程2年目に在席して研究などに勤しんでいた筆者は、博士課程への進級ができないと告げられた。
理由は告げられなかったが、当時は防衛庁側の要請という認識が先にあり詮索することはなかった。
しかし、その後に得た情報からは1967年10月の学術会議の声明の結果であった。
当時はどの大学にも安全保障講座や軍事技術関係の研究室はなかった。したがって、大学院に学んでいた自衛官は「軍事目的の科学研究をしていた」わけではなかった。
筆者が去った後も所属した研究室は存続したこと、また、他の多くの分野でも自衛官だけが大学院から排除されたことからは、「自衛官」=「軍事研究」と短絡的にみなされたのだった。
これは「学問の自由」の排除であり、マスコミが好んで使う「差別」以外の何ものでもない。