(古森 義久:産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)

 菅義偉首相が日本学術会議に対して一部の新会員候補の任命を認めなかったことが波紋を広げている。一部の会員や野党は、菅首相のこの措置を「学問の自由への侵害」などと非難する。だが、同会議こそが特定の科学研究を禁ずることで「学問の自由への侵害」をしてきた事実は指摘されるべきである。

 日本学術会議とはそもそも何なのか。今回の出来事を機に、この組織自体に新たな光が当てられた。その結果として、組織の奇々怪々な特徴が多々浮かび上がった。この機会に、同会議の解体という道も含めて、そのあり方を根幹から問い直すべきだろう。

本来は政府に政策を提言する国家機関

 日本学術会議は日本がまだ米軍占領下にあった1949年(昭和24年)に発足した。その設置を定めた「日本学術会議法」は、この組織が総理大臣の所轄下にある国家機関であり、その経費は国費でまかなわれることを明記していた。

 同法によると、日本学術会議の目的は「わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させること」であり、主任務は、政府からの諮問に応じて政府に勧告することである。そのために総理大臣が210人の会員を任命する。あくまでも政府に任命されて、政府から諮問され、政府に勧告する政府機関、というのが本来の位置づけであった。