(城郭・戦国史研究家:西股 総生)
城には必ず水の手がある?
戦国の城や合戦については、まことしやかに流布しているガセネタが少なくない。その典型が、「人は水がないと生きていけないから、城には必ず水の手(水源)があるものだ」という話。城歩きの会なんかに行くと、したり顔でこの話をする御仁に出会う。
でも筆者は、城の研究を40年間つづけてきて、たくさんの城を踏査してきた経験に照らして断言する。「城には必ず水の手がある」というのは間違いだ。戦国時代の山城では、水の手を確認できない例が珍しくないからである。
えーっ、だって、水がないと人は生きていけないでしょう! と思った、あなた。よーく、考えてみてほしい。たしかに、人は水がないと生きていけないが、鑓(やり)で刺されても死んでしまうのである。
戦国時代はじめ頃の関東に、扇谷定正(おうぎがやつさだまさ)という武将がいた。わかりやすくいうと、太田道灌の主君だった人だ。定正は実子に恵まれなかったので、甥の朝良(ともよし)を養子に迎えたのだが、その朝良に、扇谷家の当主たる者の心得を説いた文書が伝わっている。
その中で定正は、「朝良は陣を取るときに、水の便ばかり気にしているが、もっとよく地形を見定めなくてはいけない」と諭している。つまり、地形をよく見て、敵が攻めにくく味方が守りやすいような場所を選べ、水の便など二の次でよい、というわけである。