近年見られる「学生の幼稚化」は、少子高齢化に伴う「教育のサービス産業化」が、明確にその背景に指摘することができます。

 親は、高い授業料を払っているのだから、入学した子供は卒業して当然程度に思っている。

 スポンサーである親の了見は、そのまま子供の意識になりますから、「授業料払ってるのだから、単位ちゃんと出してください。ちょっとくらい遅れたからって意地悪しなくてもいいじゃないか」といった本音が垣間見えます。

 つまり、子供の考えで、ハサミを逆手に大学教授相手の殺人未遂にまで及んだという、まさに、世も末な事態としか言いようがありません。

 幸か不幸か、私はもう必修は担当しておらず、私を志望してやって来てくれる学生を母集団からセレクションして指導するケースしかありませんが、こういう本質的な「心得違い」の根治は、非常に難しいような気がします。

 今回の犯人の「子」の「甘えの構造」の背景には、この学生の親御さんということではなく、社会全般の「教育はお金で買えるもの」というプロト・モンスターペアレント的な錯覚、勘違いがあります。

 日本の大学の学費を値上げするべきか、という議論があります。

 米国では年間数百、数千万円という学費の一流大学が決して少なくありませんが、そういう大学でも、期日までにリポートを出さなければ単位などつくわけがありません。

 しかも、容易に学籍を失いますし、その際、あらかじめ払った数百万円、数千万円はフイになります。でもそれは、明らかに自己責任です。

 これが日本なら「数千万円も取っておいて、単位を出さないのか」と逆上する親が出ても、およそ不思議でありません。

 今回の「リポート遅れ、単位あげない殺人未遂」事件。私たち大学教員には、およそとんでもない事件としか言いようがありません。

 その背景には、学生ならびに学費出資者の「顧客意識」が根深く存在しているように思われてなりません。

(つづく)