つまり、私が採点するのは「必修情報」とか「展開科目・暗号資産」とか「ゼミナール 作曲・指揮」とか、個別の採点表で、そこには多数の学生の名が並び、それに対して平等に、ある意味機械的に成績をつけ、期限までに教務にこれを提出します。

 受け取った教務の方では、今度はそれを、個別の学生の成績に振り分け、一人ひとりの生徒の取得単位数や平均点など、個別成績を作らねばなりません。

 昨今は電算化、自動化が進み、かつてとはずいぶん様相が変わりましたが、成績ですから、神経を使う作業であるのは間違いありません。

 その結果、一人ひとりの学生について「単位が足りている、進学」「単位不足、留年 卒業延期」といった審判も下されるわけですから、十分慎重に、正確に執り行うべき事務作業が、膨大に存在しています。

 これらの成績業務と「入試業務」「学位審査・学位発給業務」が、同期して大挙して訪れるのが、大学における「春の採点」にほかなりません。

 こんな時期に3年生のリポートで、提出に間に合わないものがあれば、ルールに従って平等に、「単位発給は来季また頑張ってください」としか言いようがありません。

 というのも、ほかの学生はきちんと期限に間に合って提出しているのだから、同じ条件で出題して、間に合わなかったのであれば、自分の責任ですから、単位など出るわけがありません。

「私の履歴書」の類、つまり成功した経営者などの昔話で、スポーツに熱中して試験を受けなかったけれど、先生が温情で単位をつけてくれ、卒業させてもらったというような話を目にすることがあります。

 こうしたものは大学教員の率直な感想として、今日では、有害無益でしかない、昔話と言わざるを得ません。

 かつての「教務課」であれば、事務官が紙カードで作業しており、万年筆で成績を書き込んだりしていたので、牧歌的な「温情」も可能だったかもしれません。