開発競争を制したから偉いのではない

 国内で目にするノーベル賞報道が最低なのは「日本が取った」みたいな、五輪まがいの競争根性で無内容な多幸症的ラッパを吹き散らかすことにあります。

 確かにノーベル財団の発表は「リチウムイオン2次電池の開発」に対して2019年のノーベル化学賞を与えたとしている。

 でも、そこに込められた基礎科学の本質から社会的な要請まで、一番大事なことはほとんど紙面に載りません。

 これは2000年の冬、白川英樹先生からご指摘を受けて以来、一貫して大事に考えてきたもので、2008年の南部陽一郎先生がノーベル賞を受賞して以降、こういう解説を記すようになりました。

 例えば、なぜ「リチウム」なのでしょうか?

 また、ノーベル賞のお祝い記事には、どうして発火事故や回収その他のネガティブな面を記さないのでしょうか?

 おそらく日本的忖度でしょう。そして、日本人受賞者であるはずの吉野彰さんの中心業績を「特定の結晶構造をもつ新炭素材料」などと、いい加減なブラックボックスでごまかしてしまうのでしょうか?

 これらは、この技術がノーベル賞を受けるに至った最も本質的なポイントと密接に関連しており、私たちの未来を考えるうえでも、広く平易な言葉で共有されるべきものと思います。それを記します。

 中学校や高等学校で「化学」に相当する内容を学ぶとき「原子」とか「元素」という言葉が出てきます。高校の教程だろうと思いますが、メンデレーエフの周期律表というものが登場します。