ヘリウムは逆に極めて安定な「不活性ガス」の中で最も軽量ですが、化学反応してくれません。
これ以上軽いものがない金属で、かつ高いエネルギーを取り出すことができる、究極の電池素材としてリチウムが社会的注目を浴びたきっかけを前半の最後に記します。
1970年代初頭の「オイルショック」にほかなりません。
エコシステムの原点としての蓄電池
リチウムイオン2次電池は、 携帯電話やスマートフォン、ノートブックパソコン(この原稿もノートパソコンで、パリの宿で書いています)の電源として、圧倒的な市場シェアを占めるに至りました。
(いま現在も電源につないでおらず、満充電で部屋を出て朝食のテーブル上、電池駆動で校正しています)
ノーベル財団が今回の化学賞を決定した社会的な背景の本質は「2次電池」にあります。充電可能ということです。
自転車のランプは、私たちがペダルを漕ぐことで点灯させることができます。電気エネルギー自体はコイルの中で磁石を回転させれば作れる。お湯を沸かしてタービンを回せば発電機になる。
そのお湯を、石炭で沸かそうと石油で沸かそうと、あるいは原子力で沸かそうと、電気そのものには大した差は発生しません。天と地ほどの違いは別のところに生まれます。
1970年代初頭の「オイルショック」は、化石燃料を燃やしてエネルギー源とすることに本質的な疑義を呈しました。
排出される二酸化炭素など、温室効果、地球温暖化、気候変動という、今週日本を襲っている災害に直結する問題意識がここにあります。
化石燃料を燃やす発電も大問題ながら、電池もまた大問題で、使い捨ての1次電池だけで今後50年100年の人類社会を支えていけるのか、が問われました。